イラン・イスラム共和国(イラン・イスラムきょうわこく、ペルシア語: ?????? ?????? ?????)、通称イランは、アジア・中東に位置するイスラム共和制国家。首都はテヘラン。
北西にアルメニアとアゼルバイジャン、北にカスピ海、北東にトルクメニスタン、東にアフガニスタンとパキスタン、南にペルシア湾とオマーン湾、西にトルコ、イラク(クルディスタン)と境を接する。また、ペルシア湾を挟んでクウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦に、オマーン湾を挟んでオマーンに面する。ペルシア、ペルシャともいう。公用語はペルシャ語。 前6世紀のアケメネス朝時代から繁栄し、サーサーン朝時代にはゾロアスター教が国教だったが、642年にアラブ人に滅ぼされ、イスラム教が広まった。16世紀初めに成立したサファビー朝がシーア派十二イマーム派を国教とし、イラン人の国民意識を形成した。18世紀のカージャール朝を経て、1925年からパフラヴィー朝になったが、1979年のルーホッラー・ホメイニーによるイラン革命により王政は廃され、宗教上の最高指導者が国の最高権力を持つイスラム共和制が樹立された[5]。 1979年に制定されたイラン・イスラーム共和国憲法によって規定されており、国の元首である最高指導者の地位は、宗教法学者に賦与されている。憲法第4条では、すべての法律および規制がイスラムの基準に基づくものでなければならないという原則が定められている[6]。憲法では三権分立が規定され、立法権は一院制の国民議会、行政権は大統領にあるが、実質的には最高指導者が三権を掌握しており、大統領の地位はこれに劣る。イラン革命とシーア派に忠実であることが資格として要求される[7]。このような体制から、イラン政府は権威主義的であり、人権と自由に対する重大な制約と侵害をしているとして多くの批判を集めている。ヒューマン・ライツ・ウォッチは政府が抗議者に対して恣意的な逮捕を行い、治安当局や諜報当局による深刻な虐待が行われていることを報告している[8]。エコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる民主主義指数は、世界154位と下位で「独裁政治体制」に分類されている(2022年)[9]。国境なき記者団による世界報道自由度ランキングも177位と下位で最も深刻な国の一つに分類されている(2023年)[10]。 一方で教育には注力されており、人間開発指数は0.800で高い分類に入る。科学技術力においても、ナノテクノロジーのような材料工学や幹細胞研究で世界トップクラスの位置にいる[11]。 パフラヴィー朝時代にはアメリカ合衆国の強い影響下にあったが、革命により米国との関係が悪化、特にアメリカ大使館人質事件以降、公然たる敵対関係に入った。米国とは互いをテロ組織・テロ支援国家に指定している[12][7]。
概要
成立
政治体制
外交
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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