イラン
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他方でイラン革命指導者は反共主義者が多いため、ソビエト連邦とも友好的ではなく、革命後の外交は排外主義的な非同盟中立路線を基本とする[8]。近年は核兵器開発を行っている疑惑から経済制裁を受けている。2015年オバマ政権下のアメリカと核合意を締結して制裁解除を取り付けたが、トランプ政権が一方的に破棄し制裁が再開されたため、段階的に核合意履行停止を進めている[14]
経済

パフラヴィー朝時代にアメリカからの経済援助を元手に経済各分野の近代化を進め、一時は高度経済成長を成し遂げた。その後の低迷によるイラン革命の混乱とイラン・イラク戦争で経済は停滞したが、21世紀に入ると原油価格昂騰により収入を大幅に増やした[15]。世界有数の石油の産出地であり、それが国の主要財源である[6]。しかし近年は長引く米国の制裁と新型コロナウイルスのパンデミックにより経済状態が深刻化している[16]
軍事

イランは王政時代からの伝統を持つ国軍と別に、革命後に創設されたイスラム革命防衛隊という最高指導者直轄の軍事組織が存在することが特徴である[17][18]。イスラム革命防衛隊は、国外の対外工作にも深くかかわり[19]、アメリカ合衆国のトランプ政権から「テロ組織」に指定された[20]。男性に2年の兵役を課す徴兵制を採用しており[21]、兵力は61万人ほどである(2020年時)[22]
民族と宗教

2017年の国勢調査によると人口は約8000万人で、世界でも17位であった。多くの民族言語が存在する多文化国家であり、主要な民族の構成はペルシア人 (61%)、アゼルバイジャン人 (15%)、クルド人 (10%)、ロル族 (6%) である。宗教は99%がイスラム教徒でその大部分 (89%) がシーア派である。トルクメン人・バルーチ人・クルド人など10%がスンニ派を信仰している。極めて少数派としてユダヤ教キリスト教ゾロアスター教バハイ教の教徒もいるが、バハイ教は非合法にされている[8]。言語はペルシア語が公用語で大半を占めているが、他にクルド語アゼルバイジャン語などがある[6]。国教はシーア派十二イマーム派である。
地理

総面積は1,648,195 km2 (平方キロメートル) で、中東で2番目に大きく、世界では17位である。北部を東西にアルボルズ山脈が、北西部から南東部にザーグロス山脈が走り、その間にイラン高原が広がる。国土のほとんどがイラン高原上にある[8]。同国はユーラシアの中心に位置し、ホルムズ海峡に面するため、地政学的に重要な場所にある。首都であるテヘランは同国の最大都市であり、経済と文化の中心地でもある。イランには文化的な遺産が多く存在し、ユネスコの世界遺産には22個登録されている。これはアジアでは3番目、世界では11番目に多い。
国名詳細は「イランの国名(英語版)」を参照

イラン人自身は古くから国の名を「アーリア人の国」を意味する「イラン」と呼んできたが、西洋では古代よりファールス州の古名「パールス」にちなみ「ペルシア」として知られていた。1935年3月21日レザー・シャーは諸外国に対して公式文書に本来の「イラン」という語を用いるよう要請し、正式に「イラン」に改められたものの混乱が見られた。1959年、研究者らの主張によりモハンマド・レザー・シャーがイランとペルシアは代替可能な名称と定めた。その後1979年のイラン・イスラーム革命によってイスラーム共和制が樹立されると、国制の名としてイスラーム共和国の名を用いる一方、国名はイランと定められた。

現在の正式名称はペルシア語で?????? ?????? ?????(Jomh?r?-ye Esl?m?-ye ?r?n [d?omhu???ije esl???mije ?i????n] ( 音声ファイル) ジョムフーリーイェ・エスラーミーイェ・イーラーン)、通称 ????? [?i????n] ( 音声ファイル)。公式の英語表記はIslamic Republic of Iran、通称Iran。日本語の表記は「イラン・イスラム共和国」または「イラン回教共和国」[23]、通称イランであり、漢字表記では伊朗、伊蘭とも当てた。
国旗詳細は「イランの国旗」を参照

国旗は3色で構成され、緑はイスラムの国であること、白は平和と平和愛好、赤は勇気を表している。中央のモチーフは4本の剣と三日月を用いてアラビア語のアッラー(????)とチューリップを象徴する。アッラーは、イスラムの唯一神で、チューリップはイスラムと祖国のために戦死した殉教者を表す。
歴史詳細は「イランの歴史」を参照

イランの歴史イランの歴史

イランの先史時代(英語版)
原エラム
エラム
ジーロフト文化(英語版)
マンナエ
メディア王国
ペルシア帝国
アケメネス朝
セレウコス朝
アルサケス朝
サーサーン朝
イスラームの征服
ウマイヤ朝
アッバース朝
ターヒル朝
サッファール朝
サーマーン朝
ズィヤール朝
ブワイフ朝ガズナ朝
セルジューク朝ゴール朝
ホラズム・シャー朝
イルハン朝
ムザッファル朝ティムール朝
黒羊朝白羊朝
サファヴィー朝
アフシャール朝
ザンド朝
ガージャール朝
パフラヴィー朝
イスラーム共和国

古代2500年の歴史を経てペルセポリスの遺跡は訪れる人々を魅了する。

イランの歴史時代は紀元前3000年頃の原エラム時代に始まる。アーリア人の到来以降、王朝が建設され、やがてハカーマニシュ朝(アカイメネス朝)が勃興。紀元前550年キュロス大王メディア王国を滅ぼしてペルシアを征服し、さらにペルシアから諸国を征服して古代オリエント世界の広大な領域を統治するペルシア帝国を建国した。紀元前539年バビロン捕囚にあったユダヤ人を解放するなど各地で善政を敷き、またゾロアスター教をその統治の理念とした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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