イラスト
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教育・科学的な記事などを視覚化する。

利用ガイドや取扱説明書などの説明を図式化する。

商品が売れるようにする。

イラストレーションに関わる職業はイラストレーター・写真家・その他の「クリエイター」だけではなく、作家や作品と最終的な顧客との関係を確保する重要な役割を担う仲介者も含まれる[1]――アートディレクターや制作ディレクターはイラストレーションの様式やアーティストをプロジェクトに最も適するように選択し、関係を確立し、仕様書を渡し、仕事の進行を管理し、必要な訂正を行わせる。図版担当の編集者は写真・文献・版画・絵画など、既に存在するありとあらゆる形態のイラストレーションから必要なものを探し出し、個人・各種組織・図書館美術館などの著作権所持者との交渉を行う。

今日では以上のような用途の少なからぬ部分は写真で代用可能となっているが、それゆえに独自の表現を求めてイラストレーションは多様化し[14]、またイラストレーターの目と手を通じた抽象化や説明性は対象を写真よりも理解しやすいものとするので、図鑑などのサイエンティフィック・イラストレーションや技術分野でのテクニカルイラストレーションとして生き続けている[15]
歴史ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より6月
概略

イラストレーションの起源は定め難いが、文字では表すことのできないものを絵によって表すことから始まり、印刷技術の発明により、活字の他に絵による図版が登場し、大量生産によって大衆化することで本格化した。新聞、図鑑、解剖図などで挿絵が活躍する。

19世紀後半には数多の文学作品に芸術的な挿絵が添えられ、西洋のイラストレーションは黄金時代を迎える。印刷技術の大型化に伴い、ポスターが登場し、メディアとしての広がりを見せる。ヨーロッパでは、アール・ヌーヴォー画家デザイナーが華を咲かせた。ラファエル前派アーツ・アンド・クラフツナビ派アール・デコなどの美術潮流と相互に影響を及ぼし合う。やや遅れ、19世紀末から20世紀初頭にはアメリカ合衆国がイラストレーションの黄金時代を迎え、現代に至るまでのイラストレーションの原型がほぼ出揃う。

日本においても、1950年代後半にはイラストレーションという呼称が用いられるようになり、1960年代にはグラフィックデザインから独立したジャンルを築く。写真使用の一般化に伴い新聞雑誌などでの使用は減少したが、媒体自体の増加に伴い空間、環境、舞台、衣装、ウェブデザインコンピュータゲームなど、表現領域を大きく広げている[2][16]



起源

イラストレーションの起源は初期の図像表現と分かち難く、先史時代の洞窟壁画がその最初の形であろう[17]印刷機が発明されるまでは、には手描きで絵を入れていた。極東、とりわけ中国朝鮮日本では、8世紀から伝統的に版画により文章にイラストレーションを添えていたが、より一般的にはこれらの国々の絵画芸術では19世紀に至るまで絵画の方に短い詩文()が添えられるのが常であった。

西洋や中近東での始まりは中世ルネサンス彩色装飾であったとも考えられる。注目に値する数々の彩色装飾の中でも際立つのが『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』のそれである。イスラーム圏では絵画(タブロー)が宗教的理由で抑圧されたため写本芸術が発達を見た[18]
15-18世紀

15世紀には印刷術が発明され、書物には木版術(板目木版)で挿絵が施されるようになった。16世紀には製版術が進歩し、木版から銅版(凹版エッチング)へ[17]、そして18世紀末にはリトグラフへと発展していった[19]

17世紀のコメニウスの『世界図絵』は文字と絵を併置したはじめての視覚的教科書であった[20]。この時代の特筆すべきイラストレーターに、凸版エッチングを用いて自著に自らの手で挿画したウィリアム・ブレイクがいる。ディドロダランベール百科全書啓蒙思想に基づき大量のイラストレーションを使用し、今日のテクニカルイラストレーションの先駆けとなった[20]
19世紀初頭ジョージ・クルックシャンク『ボニーの火を消しちまえ!』(1814年)。ナポレオン・ボナパルトの追放を風刺

19世紀初頭には、大衆的な新聞や(en:almanac. 当時の暦は一種のメディアであった)が飛躍的に普及しマスメディアが形成され、そこに掲載された短篇小説や連載小説が人気を博したこともありジャーナリズムのイラストレーションが発達した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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