美術においては画家という「個」から出発して1つの普遍性を目指すが、イラストレーションにおいては即座に人を捉える分かりやすい「個性」が求められる。このため美術では常に人とも過去の自分とも異なる表現が求められるが、イラストレーションではそうした桎梏から自由な反面、一度タッチなどの作風が定着するとその作風を反復し続けることを要求される側面もある[9][10]。
イラストレーションにはさまざまな環境において大衆に訴求する分かりやすさが求められると同時に、大量に複製されることによって大衆が身近に触れることのできる絵画的表現物ともなっており、即時的な「消費される絵画」[11] であると同時に絵画(タブロー)にはない共有性や同時代性も持つ[12]。他方で消費社会の高度化に伴い商業領域でも「個」に訴求する表現が受け入れられるようになり表現者が美術とイラストレーションを往還し、またメディアも紙のみならずデジタルや環境などへと拡散していったため、美術との境界のみならずイラストレーションそのものの定義も揺らぎつつある[13]。
用途ヨットの図解イラストレーション
イラストレーションはさまざまなテーマを表現することができ、以下のような幅広い目的に用いられる――
物語のニュアンスを浮き彫りにする。
読者に感情を吹き込む。
登場人物に人格や顔を与える。
教育・科学的な記事などを視覚化する。
利用ガイドや取扱説明書などの説明を図式化する。
商品が売れるようにする。
イラストレーションに関わる職業はイラストレーター・写真家・その他の「クリエイター」だけではなく、作家や作品と最終的な顧客との関係を確保する重要な役割を担う仲介者も含まれる[1]――アートディレクターや制作ディレクターはイラストレーションの様式やアーティストをプロジェクトに最も適するように選択し、関係を確立し、仕様書を渡し、仕事の進行を管理し、必要な訂正を行わせる。図版担当の編集者は写真・文献・版画・絵画など、既に存在するありとあらゆる形態のイラストレーションから必要なものを探し出し、個人・各種組織・図書館・美術館などの著作権所持者との交渉を行う。
今日では以上のような用途の少なからぬ部分は写真で代用可能となっているが、それゆえに独自の表現を求めてイラストレーションは多様化し[14]、またイラストレーターの目と手を通じた抽象化や説明性は対象を写真よりも理解しやすいものとするので、図鑑などのサイエンティフィック・イラストレーションや技術分野でのテクニカルイラストレーションとして生き続けている[15]。 イラストレーションの起源は定め難いが、文字では表すことのできないものを絵によって表すことから始まり、印刷技術の発明により、活字の他に絵による図版が登場し、大量生産によって大衆化することで本格化した。新聞、図鑑、解剖図などで挿絵が活躍する。 19世紀後半には数多の文学作品に芸術的な挿絵が添えられ、西洋のイラストレーションは黄金時代を迎える。印刷技術の大型化に伴い、ポスターが登場し、メディアとしての広がりを見せる。ヨーロッパでは、アール・ヌーヴォーの画家やデザイナーが華を咲かせた。ラファエル前派、アーツ・アンド・クラフツ、ナビ派、アール・デコなどの美術潮流と相互に影響を及ぼし合う。やや遅れ、19世紀末から20世紀初頭にはアメリカ合衆国がイラストレーションの黄金時代を迎え、現代に至るまでのイラストレーションの原型がほぼ出揃う。 日本においても、1950年代後半にはイラストレーションという呼称が用いられるようになり、1960年代にはグラフィックデザインから独立したジャンルを築く。写真使用の一般化に伴い新聞雑誌などでの使用は減少したが、媒体自体の増加に伴い空間、環境、舞台、衣装、ウェブデザイン、コンピュータゲームなど、表現領域を大きく広げている[2][16]。 イラストレーションの起源は初期の図像表現と分かち難く、先史時代の洞窟壁画がその最初の形であろう[17]。印刷機が発明されるまでは、本には手描きで絵を入れていた。極東、とりわけ中国・朝鮮・日本では、8世紀から伝統的に版画により文章にイラストレーションを添えていたが、より一般的にはこれらの国々の絵画芸術では19世紀に至るまで絵画の方に短い詩文(賛)が添えられるのが常であった。 西洋や中近東での始まりは中世やルネサンスの彩色装飾であったとも考えられる。注目に値する数々の彩色装飾の中でも際立つのが『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』のそれである。イスラーム圏では絵画(タブロー)が宗教的理由で抑圧されたため写本芸術が発達を見た[18]。
歴史『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より6月
概略
起源