イラストレーション
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

イギリスでは、ジョン・テニエルによる挿絵がルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の幻想世界を読者たちに表現してみせた[21]。ドレやテニエルがモノクロームの版画で幻想的な作品を作り続けた一方で、他のイラストレーターたちは色彩の可能性を発見していった。彼らは特にラファエル前派の画家たちの影響を受け、ウィリアム・モリスが興したアーツ・アンド・クラフツデザイン志向の手刷りによる技術を模倣した。エドマンド・デュラックアーサー・ラッカムウォルター・クレインカイ・ニールセンなどがこのスタイルの代表例で、新中世趣味(英語版)の風潮を持ち、神話説話を題材にすることが多かった。それとは対照的に、ビアトリクス・ポターは彼女自身の短い物語に、ヴィクトリア朝様式に着飾った動物たちを自然観察に基づき描いたイラストレーションを添えた『ピーターラビット』で大衆的な人気を獲得しイラストレーションの領域を広げた[21]。黄金時代のイラストレーターたちの豊饒さと調和は、1890年代にはジャポニスムや板目木版と影絵に影響され密度の薄い白黒のスタイルに回帰しアール・ヌーヴォーナビ派を先取りしたオーブリー・ビアズリーなどのイラストレーターによってさらに際立った。

19世紀末にはリトグラフの技法によりカラーの広告ポスターが一般化し、アール・ヌーヴォーの開花と共にジュール・シェレウジェーヌ・グラッセアルフォンス・ミュシャアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックらが近代的なポスターを作り出した[21][22]

合衆国での黄金時代は1880-1914年であった。アーサー・バーデット・フロストハワード・パイルは子供向けの本のイラストレーションで名声を得、ブランデーワイン派と呼ばれる、パイルの開いた美術学校の生徒たち、N・C・ワイエスマックスフィールド・パリッシュジェシー・ウィルコックス・スミスフランク・スクーノヴァーらが時代を支え、後のノーマン・ロックウェルにも影響を与えた。またパイルらは1902年にイラストレーターの職業団体であるソサエティ・オブ・イラストレーターズ(英語版)を設立し、イラストレーターの地位を向上させた[21]
1914-1945年[ソースを編集]ジェームズ・モンゴメリー・フラッグ「I Want You」、1917年アメリカの兵士募集ポスター

20世紀は「デザインの世紀」とも呼ばれ、大量生産と社会の大衆化に伴い商品の差別化のためのデザインが重要となり、デザインの絵画的要素としてのイラストレーションも発達を見た。アール・ヌーヴォーアール・デコ、あるいはキュビスムなどの美術潮流や、バウハウスのようなデザイン潮流などがイラストレーションに流入し混ざり合い、近代的なイラストレーションが成立してゆく。また両大戦を通じ政治的なプロパガンダにイラストレーションが用いらるようになったのもこの時代であった[23]

シカゴの美術学生であったサンティアゴ・マルティネス・デルガド(英語版)によってラテンアメリカに一つの運動が引き起こされた。デルガドは1930年代に『エスクァイア』誌で、その後コロンビアにて『ヴィダ』誌で活動した。フランク・ロイド・ライトの弟子である彼のイラストレーションはアール・デコ様式の影響を受けていた。

同じく1930年代には表現主義の影響がイギリスのフリーイラストレーターであったアーサー・ラッグ(英語版)の仕事に見出される。ラッグはステンシルの技法で得られたプロパガンダのポスターで用いられるようなフォルムを様式化した。ラッグの様式化されたモノトーンな輪郭は政治的なポスターに使われるような木版印刷を彷彿とさせるものであったが、この時代の写真的な手段で原画を印刷版に転写する技術はラッグに全ての作品をペンインクで制作することを可能にする域に達していた。

合衆国ではサタデー・イブニング・ポスト誌の表紙イラストで中流アメリカ人の生活を騒がせたJ・C・ライエンデッカージェームズ・モンゴメリー・フラッグノーマン・ロックウェルらの名前を雑誌出版界が強く印象付けた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:117 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef