これを受けてアメリカはイギリスとともに、12月16日から19日にかけて、トマホーク325基以上とB-52からの空中発射巡航ミサイル(AGM-86C CALCM)90基によるミサイル空爆を行なった(砂漠の狐作戦)。湾岸戦争後最大の軍事行動であるこの作戦においては、コーエン米国防長官は「作戦は非常に成功した」と述べ、「この攻撃で(イラクの)生物・化学兵器を運搬する能力を削減できた」と語った。
この攻撃は国連安保理の承認を得ておらず、国際連合事務総長コフィー・アナンは空爆に遺憾の意を表明した。安保理では15ヶ国(安保理非常任理事国10ヶ国含む)のうち、12ヶ国が遺憾の意を表明した。一方、日本は小渕恵三首相が「我が国として米国と英国による行動を支持する」と支持表明を出した(支持を表明したのは日本、カナダ、韓国、ドイツ、スペインなど)。
1999年12月にはUNSCOMに代わり、UNMOVIC(国連監視検証査察委員会)の成立を定めた国際連合安全保障理事会決議1284が採択された。しかしイラクはUNMOVICの受け入れも行わず、抵抗を続けた。 2001年1月20日にジョージ・W・ブッシュが新たな大統領に就任した。大統領就任直後の2001年2月16日には防空網を備えつつあった[1]イラクの軍事施設を空爆した。アメリカは「イラク・石油・食糧・交換計画」に緩みが発生し、イラクが不法な石油輸出で軍備を増強していると警戒していた[1]。 6月、アメリカとイギリスは新たな制裁案である「スマート・サンクション」の導入を安保理で提案した。これは軍事物資ないし軍事用に転用可能な品をイラクに対する輸出禁止品目リストとして明文化して掲載するものであり、フランスとロシアは反対した。禁止品目を減少させることでフランスは同意したが、ロシアの強硬な反対で成立しなかった。
2001年
11月、「イラク・石油・食糧・交換計画」の期限が切れ、半年間の延長を定めた国際連合安全保障理事会決議1382が成立した。この決議では半年後に「スマート・サンクション」が適用されることが明文化されており、テロ事件後アメリカと協調姿勢を見せたロシアも賛成した。しかしロシアはイラク側に最後まで反対したと語っている[1]。 ジョージ・W・ブッシュ大統領は2002年1月29日、イラク・イラン・北朝鮮が、大量破壊兵器を保有するならず者国家であるとして、悪の枢軸発言を行った。相手国がアフガニスタンに続く攻撃目標であることを含ませたこの演説は、これらの国の強い反発を招き、対立が激化した。 4月22日、アメリカ合衆国の要求により、化学兵器禁止機関(OPCW)の臨時締約国会議が開かれ、イラクをOPCWに加盟させようとしたホセ・ブスターニ 11月に国際連合安全保障理事会は国際連合安全保障理事会決議1441を採択し、イラクへ再び査察を受け入れるように圧力を加えた。これに対してイラクは4年ぶりに査察を受け入れた。また、同決議の第3項が定めるところに従い、イラクは武器申告書
2002年
査察再開
中間報告アメリカのコリン・パウエル国務長官
コリン・パウエルは、国際連合の場でアメリカ炭疽菌事件への報復としてイラク攻撃を主張した。
2003年1月9日には、武器査察を行った国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)とIAEAから安全保障理事会への中間評価の報告があった。また、UNMOVICのハンス・ブリックス委員長はイギリス・アメリカなどからの情報の提供を歓迎するとも述べた。両国はこの時期、イラクが国連決議に反しているとの指摘を公の場で行っている。アメリカのコリン・パウエル国務長官はアメリカが査察団に対して情報提供を行うことを表明した。
主な内容は以下のとおりである[10]。
UNMOVIC報告
イラクの協力は積極的なものではなく、本当の意味で国連決議を受け入れたわけでは無い。
イラクは施設立ち入りについては協力したものの、U2偵察機による上空査察が安全性に問題があるとして拒否し、国連ヘリコプターによる飛行禁止区域の査察を拒否した。また、イラク人科学者は当局の指示無しに査察官には話すことは無い。
イラクが12月7日に提出した申告書は以前の申告書の蒸し返しであり、疑問は一切解消されていない。
神経ガスであるVXガスの開発に成功したとの情報を査察団は得ている。また炭疽菌を製造した可能性がある。
科学者の自宅から、ウラン濃縮に関する3000ページにわたる文書が見つかった。
イラクが配備していたアルサムード2ミサイルの射程が実際には150kmを超えるものであり、安保理決議違反に当たる[11]。
査察はまだ進行中である。
IAEA報告
1991年から1998年までの査察で、イラクの核兵器開発をほぼ無効にすることができたとの結論を得た。査察では、禁止されている新たな核兵器開発の証拠は見つかっていない。
査察には前進が見られた。
申告書の多くはIAEAの調査と一致しているが、湾岸戦争前の核物質の遠心分離抽出については明確にされる必要がある。
アルミニウム管を購入しようとしたイラクの試みは安保理決議違反に当たる。
イラク側の積極的な協力があれば、IAEAは数カ月後に、イラクには核兵器開発計画が無いと断言できる。
1月16日には化学兵器を搭載するためのミサイル12基が発見された。これは申告書に掲載されていなかったものと考えられた。同様の発見が別件であったことが2月12日にも発表された。
2月5日には、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていることを示す証拠をアメリカ側が国連安保理にて提示した。しかし、この(パウエル報告)において重要な情報源として高く評価され、引用されてもいたイギリス政府による報告書が、実は最新の情報ではない、イラクの研究を行うアメリカの大学院生の1991年の論文からのかなり長い剽窃を含んでおり、パウエルは後に「私の生涯の汚点であり、報告内容はひどいものだった」と認めることになる。2月14日、査察団の報告が再び行われた。報告では武装解除の進展を積極的に評価しつつも、査察が完了しておらず、まだ時間が必要であることが示唆された。2月21日、ブリクス委員長は3月1日までにアルサムード2の廃棄に当たるようにイラクに指示した。2月27日、イラクはアルサムード2の廃棄を表明し、廃棄にとりかかった。 しかしアメリカ・イギリス側は査察は不十分であり、イラク側の対応が改まらないとして、戦争をも辞さないとする新決議を提案したが、フランス等は査察は成果を挙げているのだから継続すべきと主張した。国際連合安全保障理事会でも議論が積み重ね、途中チリなどが修正案も提示したが、アメリカ・イギリス側は断固拒否した。 安保理で焦点になったのは中間派と呼ばれたチリを始め、パキスタン、メキシコ、カメルーン、アンゴラ、ギニアの各国だった。
アメリカ上院の公聴会において、カール・レビン上院議員はCIAから入手した機密書類を引用しCIAが重要な情報を故意に査察団に伝えず、国連の査察が失敗に終わるように工作した、とワシントン・ポスト紙に語った。
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