イベリア人
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イベリア語バスク語は、遠く離れたコーカサス諸語と同語族を構成するという説がある[1]。古くコーカサスはギリシャローマ人より「イベリア」と呼ばれており、ここからスペインに移住した民族がバスク人の祖となり、イベリア半島の呼称もそこから来ているという説である。実際、Y染色体ハプログループR1b西アジア起源とされている[2]

イベリア人は部族ごとに住み、青銅技術、農業、金属加工術を持っていた。後にさらに都市化した文化になった。金属(製品)をフェニキア人ギリシャ人カルタゴ人と貿易していた。
外部からの影響

ケルト人は紀元前1000年紀に2度にわたってイベリア半島を訪れ、イベリア人が南部に住む一方、ケルト人は北部と西部に定住した。その結果、中央部で文化がミックスされた、ケルト・イベリア文化ケルティベリアが生まれ、東部沿岸にも広まった。イベリア人、ケルティベリア人は地中海広範囲にわたって貿易を行った。イベリア陶器はフランス、イタリア、北アフリカで見つかっている。

ギリシャの文化も多く学び、「バーサの貴婦人」、「エルチェの貴婦人」像はギリシャの芸術様式の影響が顕著に見える  

イベリア人とケルティベリア人は第1次ポエニ戦争の後、しばらくしてからカルタゴに支配され、第2次ポエニ戦争ではハンニバルの軍勢に兵隊を送った。その後、カルタゴに代わってローマの勢力が入りこんだ。ローマは第一次ケルティベリア戦争ヌマンティア戦争など幾たびもの戦争を通じて支配を広げ、紀元前1世紀までかかって全域をローマの属領にした。イベリア人の墓、アサイラ(アラゴン州テルエル県ボトリタ碑文、サラゴサ近郊ボトリ で出土した板(イベリア語とラテン語で書かれている)
脚注^イベリア・カフカス語族 - Yahoo!百科事典
^ International Society of Genetic Genealogy (ISOGG) - Y-DNA Haplogroup R and its Subclades

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、イベリア人に関連するカテゴリがあります。

前ローマ時代のイベリア半島の民族の詳細地図 (紀元前200年頃)(ポルトガル語、2011年6月以降更新なし)

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