イネ
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約1万年前の中国長江流域の湖南省周辺地域。かつては雲南省の遺跡から発掘された4400年前の試料や遺伝情報の多様性といった状況から雲南省周辺からインドのアッサム州周辺にかけての地域が発祥地とされていた[9][10][11]

長江流域にある草鞋山遺跡のプラント・オパール分析によれば、約6000年前にその地ではジャポニカ米が栽培されており、インディカ米の出現はずっと下るという[12]。前4200年前に始まった寒冷化によって、前4000年以降次第に品種が多様化し長江流域から黄河中下流域や南方への拡散が始まった。野生稲集団からジャポニカ米の系統が生まれ、後にその集団に対して異なる野生系統が複数回交配した結果、インディカ米の系統が生じたと考えられている[9]
日本への伝播と普及

日本国内に稲の祖先型野生種が存在した形跡はなく、栽培技術や食文化などと共に伝播したものと考えられている。日本列島への伝播については、いくつかの説があり、概ね以下のいずれかの経路によると考えられている[13]
江南地方(長江下流域)から九州北部への直接ルート、

江南地方(長江下流域)から朝鮮半島南西部を経由したルート、

南方の照葉樹林文化圏から黒潮に乗ってやって来た「海上の道」ルートである[14][15]

ただし、多様な伝播経路を考慮すべきとの指摘もある[16]。「稲作#日本国内での歴史」も参照

本格的に稲作が始まった時期は地域によって差があり、一説では最も早いのは九州西北部で弥生時代早期にあたる紀元前9世紀からとされ[7]、初期の稲作は用水路などの栽培環境が整備された水田ではなく、自然地形を利用する形態で低湿地と隣接する微高地を利用していたとされている[13][17]。杉田浩一編『日本食品大事典』によれば、水稲作の日本への伝来は縄文時代後期にあたる紀元前11世紀頃であり[5]、本格的な栽培が始まるのは近畿地方では紀元前2世紀頃、関東地方では2世紀頃、本州北端では12世紀[5]北海道では明治時代以降であるとされている[5]

しかし、近年、縄文時代前期の遺跡から複数のイネ科植物の遺骸であるプラント・オパールが出土している[3]。稲のプラント・オパールは20?60ミクロンと小さいため、雨水と共に地下に浸透することも考えられるため、即座に発見地層の年代を栽培の時期とすることはできないが、鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている[18]

現在日本で栽培されるイネは、ほぼ全てが温帯日本種に属する品種であるが、過去には熱帯日本種(ジャバニカ種)も伝播し栽培されていた形跡(2005年2月、岡山市の彦崎貝塚で、縄文時代前期(約6000年前)の土層からイネのプラント・オパールが多量に出土した。同市の朝寝鼻遺跡でも同時期の発見例があり、縄文時代前期から畑作によるイネの栽培が始まっていた可能性が高まった[19])ともみれるが、他地域で栽培されたものが持ち込まれた可能性も否定できないとの見解もある[20]。また、2008年国立歴史民俗博物館の研究者らは、岡山県彦崎貝塚のサンプルには異なった時代の付着物もあったことから、時代測定資料の選別は慎重に行うべきであるとしている[21]
形態イネの植物図

多くの節を持つ管状のを多数分岐させ、節ごとに1枚の細長い肉薄のを有する。また、葉の付け根には葉舌という器官がある。葉の表皮細胞(機動細胞・ケイ酸細胞)にはケイ酸が蓄積し、葉の物理的な強度を高めている[22]。枯れた葉などの有機成分土壌中で分解されるが、ケイ酸は分解されにくいためプラントオパールとして残存し、過去の生態や農耕の様子を調べる手がかりとして利用される[23]。薄手の葉が直立する草型のため、密集状態での受光効率が高い。稈は節の詰まったロゼット状になっており、生殖成長期になると徒長してを1つ付ける。栄養成長期と生殖成長期が明確に分かれており、穂を付けるのは稈を増やす時期が終了してからであり、(もみ)が成熟して生殖成長が終わると、ひこばえ(蘖)が生え再び栄養成長を再開する。

他殖性の風媒花であり、開花前に稈が徒長して穂を草叢から突き出すのは、開花時に花粉を飛ばしやすくするためである。ただし開花前に花粉が熟し、開花時にが破裂するため、栽培稲では98%程度が自家受粉する。開花時間は午前中から昼頃までの2-3時間と短い。花は、頴花(えいか)と呼ばれ、開花前後の外観は緑色をした籾そのものである。籾の先端には、しなやかな芒(ぼう)が発達する。芒は元々は種子を拡散するための器官であるが、栽培上不要なため近代品種では退化している。

農業上、種子として使われる籾は、生物学上の果実である玄米を穎(籾殻)が包んでいるもの。白米は、玄米から(ぬか)層、など取り除いた、胚乳の一部である。

イネの花

収穫期の穂の拡大写真



稲刈り後に伸びるひこばえ

分類
水稲と陸稲



水田の水稲

陸稲

元来、イネは湿性植物である[24]。水田で栽培するイネを水稲(すいとう、lowland rice)、耐旱性が強く畑地で栽培するイネを陸稲(りくとう、おかぼ、upland rice)という[1][6][25]。日本では明確に水稲と陸稲が区別されるが[1]、他の国では水稲と陸稲とは明確には区別されていない[1]

水稲には、灌漑稲、天水稲、深水稲、浮稲といった種類がある[24]。水位が著しく上昇して葉が水没するような状況では、節間を急速に伸ばすことで水面から葉を出し、窒息を免れることができる。節間の伸張能力は品種により著しい差があり、数センチから十数メートルまで伸張する品種がある。特に著しく伸張させることができる品種は浮稲(うきいね)と呼称される。

陸稲は水稲に比べて食味の点で劣るとされ、日本においては近年では糯種などが栽培されているにすぎない[25]
糯粳性による分類

稲の食用部分の主成分であるでんぷんは、分子構造の違いからアミロースアミロペクチンに分けられる。お米の食感は、両者の含有配分によって大きく異なる。すなわちアミロース含量が少ないお米は加熱時にやわらかくモチモチした食感になり、アミロース含量が多いとパサパサした食感になる。日本人の食文化では、低アミロースのお米を「美味しい」と感じる。この好みは、世界的には少数派となっている。

通常の米は20%程度のアミロースを含んでいるが、遺伝的欠損によりアミロース含量が0%の品種があり。これがモチ性品種であり、日本ではもち米と呼ばれる。この特質を持つ作物は稲だけではなく、他にアワキビハトムギモロコシトウモロコシオオムギアマランサス(けいとう)に見つかっている。


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