それに対し、「イチョウ」の語は「銀杏」の明代の近古音(唐音)が転じたものとする説もある[3][13]。1481年頃に成立した一条兼良の『尺素往来』や1486年の『類集文字抄』、1492年頃の『新撰類聚往来』にも「鴨脚」はなく、「銀杏」に「イチヤウ」とのみ振られており、これを支持する[28][29]。「いちょう」の歴史的仮名遣は「いちやう」であるが、もとは「いてふ」とする例が多かった[4]。この「いてふ」という仮名は「一葉」に当てたからだとされる[3]。1450年頃に成立した『長倉追罰記』には幔幕に描かれた家紋について「大石の源左衛門はいてうの木」と表記される[29]。 種子は銀杏(ギンナン)と呼ばれるが、11世紀前半に上記「鴨脚子」から入貢のため改称され、用いられるようになったと考えられる[29]。明代李時珍著『本草綱目』に記載されている「銀杏」は、銀杏の初出が呉端
「ギンナン」
学名.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィクショナリーにginkgoの項目があります。
属名 Ginkgo中村タ斎の『訓蒙図彙』に描かれる銀杏。ゲーテ直筆の詩Ginkgo biloba(1815年)デュッセルドルフ・ゲーテ博物館所蔵。
イチョウ属の学名 Ginkgo は、日本語「銀杏」に由来している[18][31][32]。英語にも ginkgo /?g??ko?/ として取り入れられている[註 3][31][32][33]。ほかにも男性名詞として、ドイツ語 Ginkgo, Ginko /?g??ko/ [34][35] や フランス語 ginkgo /????ko/ [36]、イタリア語 ginkgo [37] など諸言語に取り入れられている。
イチョウ綱が既に絶滅していたヨーロッパでは、本種イチョウは、オランダ商館付の医師で『日本誌』の著者であるドイツ人のエンゲルベルト・ケンペルによる『廻国奇観 (諸国奇談、Amoenitatum exoticarum)』(1712年)の「日本の植物相(Flora Japonica)」[38] において初めて紹介されたが、そこで初めて“Ginkgo”という綴りが用いられた[18][39]。
ケンペルは1689年から1691年の間、長崎の出島にいたが、その間に中村タ斎『訓蒙図彙』(1666年)の写本を2冊入手した[註 4][39]。ケンペルが得たイチョウに関する情報は『訓蒙図彙』2版 (1686)の「巻十八 果?」で書かれている[39]。ケンペルは日本語が読めなかったので、参照番号をそれぞれの枠に振った[39]。ケンペルのもつ写本の植物の項目の殆どには見出しの隣に2つ目の番号が振られていた[39]。ケンペルの所有していた写本では、イチョウの枝の図の横に269、漢字の見出しには34と番号が振られている[39]。多くの日本の文献は、助手の今村源右衛門から教わったと考えられるが、交易所の通訳であった馬田市郎兵衛、名村権八と楢林新右衛門もケンペルの植物学の研究に重要な影響を与えたことが、イギリスの医師でありこの時代随一の蒐集家であったハンス・スローンが保管していたケンペルの備忘録により分かっている[39]。これらの参照番号はケンペルが日本に滞在していた時の備忘録でも見られる[39]。Collectanea Japonica と題された手稿[40] には、『訓蒙図彙』の漢字の見出しがリスト化されているページがあり、34番目の見出しで “Ginkjo” もしくは “Ginkio” と書くべきところを、誤って“Ginkgo”と表記されている[39]。つまり、ケンペルの「日本の植物相」以降、現在まで引き継がれている “Ginkgo” という綴りは、ケンペルの郷里レムゴーでの誤植や誤解釈などの出版の際のミスではなく、日本でケンペル自身が書き記した綴りであったと考えられる[39][註 5]。
なお、Webster (1958)では ginkgo は、日本語の ginko, gingkoに由来するとしている[31] が、日本語の「銀杏」が「ギンコウ」と読む事実はない[註 6][註 7]。小西・南出 (2006)では中国語の銀杏(ぎんきょう)からとしている[33] が、この読みは日本語であり正しくない。
このケンペルの綴りが引き継がれて、カール・フォン・リンネは1771年、著書 Mantissa plantarum. Generum editionis VI. Et specierum editionis II でイチョウの属名をGinkgo として記載した[18][43]。Moule や Thommen は、Ginkyo bilobaに修正すべきだと主張し[44]、牧野(1988)[45] では、ケンペルの著書中ではkjoをkgoに書き誤ったのであり、直すならGinkjoであるというが、植物命名規則においては恣意的に学名を変更することはできないとされている[35]。1712年のケンペルのGinkgoという誤った綴りは命名規約上有効ではなく、それを引用した1771年のリンネの命名Ginkgo bilobaが命名上有効であり、リンネは誤植をしなかったため、訂正することができないと考えられる[35]。