イタリヤード
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

^ 「イタリヤードは北村でもっている」「あの会社は北村のワンマンカンパニーだ」という陰口がよく北村の耳に入ったという(渡辺1996 p.29)。
^ 「もう少し売れると思いますから」と、メーカーに素材を残してもらっていた(渡辺1996 pp.62-63)。
^ 当時のアパレルメーカーは年2回、春夏物と秋冬物の商品展示会を行い、得意先である小売店が見本商品に触れて発注する流れになっていた。しかし、売れ残った場合には無条件に返品される慣習があり、小売店の発注ミスの責任をアパレルメーカーが負わされていた(緒方1995 pp.21-22)(政岡2008 p.94)。
^ 家賃と仕入分程度の売上しかできなかった。北村が訪れた際には、墓場へ足を踏み入れたと思われるほどに活気が感じられない店内で、ウェイトレスが注文を取りに来ず、店長は営業時間中にさぼってどこかへ行く有様だった(渡辺1996 pp.32-36)。
^ この時期に、会社草創期に資本提供してくれた大株主が「自分の経営する企業の傘下に入らないか」と誘ってきたという。北村はこの申し出を断るため、母親の家を担保に入れ2,000万円を銀行から借り入れて、大株主の保有する株式を買い取った(渡辺1996 pp.68-70)。
^ 各部署でまったくの無駄な作業を行っていた従業員の多さに辟易し、業務の効率化を指示して経費を2割削減し、合わせて経理の専門家を招き入れたという(渡辺1996 pp.75-77)。
^ 「ショップ・イン・ショップ」の略で、百貨店ショッピングセンターの構内に設置された、比較的小規模の独立した店舗形態の売場をいう。
^ 標準的なFC店の売上は月平均800万円、一番店といわれる店は月平均2,000万円に達したという(渡辺1996 pp.106-107)。
^ 当時のアパレル業界では「前年に売れた商品は、次の年には売れない」のが常識とされ、定番品や売れ筋の有無にかかわらず、大半の商品を入れ替えていた(政岡2008 p.95)。
^ 「アンドレルチアーノ」売上64億円・FC店60店、「フロリダキーズ」売上37億円・FC店30店、「ホワイトイタリヤード」売上33億円・FC店35店、「ブランヌーボー」売上22億円・FC店35店(渡辺1996 pp.102)。
^祇園祭が京都の町衆によって始められたように、これからの京都は新しい世代が中心となって作り運営されるべき」と考えた。会員数は約700名(渡辺1996 p.161)。
^ 北村は従業員に対して各自の持ち株の一部売却を許し、皆の称賛を浴びたという。証券会社は「安定株主の株数が減る」と大反対だった(渡辺1996 pp.178-181)。
^ 1996年1月に資本金9,800万円で設立した四君子(しくんし) 株式会社が運営。イタリヤードは5,000万円を出資するとともに、「京都若衆会」の活動で人脈を広めた北村の知己260名に資本提供を要請した。「京のきもの屋」の設定する標準価格は振袖セット50万円、留袖セット30万円とし、SMLを基準サイズにイージーオーダーで仕立てることとした(渡辺1996 pp.148-149)(畑村2006 p.230)。
^ 「ドンナソラーレ」(1996年2月)、「コプコピン」(1996年8月)の2点(政岡2008 p.96)。
^ 北村曰く「経営見通しに甘さがあったが、この現状はどこも同じではないか」「ここ4-5年は社内のことにほとんど口を出していなかった(中略)今後1-2年は社内の体質転換に最大の力を注ぎたい」(日経産業新聞1998年10月2日付、畑村2006 p.233)。
^ 2003年8月に、事業持株会社ヤマノホールディングスが四君子の株式を取得、そのグループ企業が土地建物を取得した。
^ 自己破産申請までの数か月間、イタリヤードの株価は乱高下を極めた。監査法人に特記事項を付された11月8日は60円(前日比30円安)、12月7日には上場以来最安値の45円まで下落した。しかし、ユーロ円建て転換社債発行に関する報道がされた12月18日より3日連続ストップ高を続け、12月20日には176円に。四君子の売却が報道された12月21日には223円、12月25日には年初来最高値の295円まで急騰した。その後は200円台で推移し、1月21日には217円、自己破産を申請した1月22日の終値は205円だった(政岡2008 p.99)。
^ 当初は資産総額120億円(流動資産50億円、固定資産70億円)に対し、負債総額63億円(流動負債53億円、固定負債10億円)、つまり57億円の資産超過と公式発表していた。この記者会見に従うと、不動産や在庫などで100億円が過大に計上されていたことになる(政岡2008 p.98)。
^ 地下鉄東西線開通計画のあった「新しい」御池通と、大小の呉服問屋が立ち並ぶ「古い(伝統の)」室町通の交差点を、「古いものを残しながら、そこへ新しい息吹を注入し、永遠に生き続ける」京都に見立てて選択したという(渡辺1996 pp.109-113)。
^ さらに、メルセデス・ベンツを5台、ボルボを2台、ロールス・ロイスを1台など、高級外車を揃えて顧客を出迎えていたという(畑村2006 p.228)。
^ 繊維商社ツカモトコーポレーショングループ企業が運営するメンズアパレルブランド「アンドレ・ルチアーノ」とは異なる。

出典^ a b c 四国新聞社2002年1月22日 京都の婦人服卸が破産/大証2部のイタリヤード
^ a b c d e 日経ビジネス p.205
^ 政岡2008 p.89
^ 緒方1995 p.20
^ a b 畑村2006 p.222
^ a b 日本経済新聞1996年8月7日夕刊
^ 緒方1995 p.21
^ 畑村2006 p.223
^ a b c 政岡2008 p.93
^ 緒方1995 p.226
^ 日本経済新聞1993年8月30日朝刊
^ 緒方1995 p.85
^ 緒方1995 p.83
^ 緒方1995 p.41
^ a b c 政岡2008 p.94

次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:75 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef