近代イタリア語の基礎はフィレンツェの詩人ダンテ・アリギエーリによって創設され、彼の偉大な作品『神曲』は中世ヨーロッパで最高の文学作品だと考えられている。イタリアはそれ以外にも祝福された文学者に不足しなかった。例を挙げるならジョヴァンニ・ボッカチオ、ジャコモ・レオパルディ、アレッサンドロ・マンゾーニ、トルクァート・タッソ、ルドヴィーコ・アリオスト、フランチェスコ・ペトラルカのような人物の名が挙げられ、彼らのもっとも知られた表現の媒体は彼らがイタリアで生んだソネットだった。近代の文学者であり、ノーベル文学賞受賞者には、1906年受賞の国民主義詩人ジョズエ・カルドゥッチ、1926年受賞の写実主義作家のグラツィア・デレッダ、1934年受賞の近代劇作家ルイージ・ピランデッロ、1959年受賞の詩人サルヴァトーレ・クァジモド、1975年受賞のエウジェーニオ・モンターレ、1997年受賞の風刺家かつ劇作家ダリオ・フォの名が挙げられる[41]。
哲学詳細は「イタリア哲学(英語版)」を参照「イタリア現代思想」も参照
ルネサンスの時代には、ジョルダーノ・ブルーノやマルシリオ・フィチーノ、ニッコロ・マキャベリ、ジャンバティスタ・ヴィコのような傑出した哲学者が現れた。
20世紀前半において、イタリアではベネデット・クローチェやジョヴァンニ・ジェンティーレによって新ヘーゲル主義が新観念論に昇華した。ジェンティーレの哲学はファシズムの理論的支柱となった。そのほかにも特筆されるべき哲学者として、マルクス主義の新たな読み方を発見し、サバルタンやヘゲモニーといった概念につながる思想を生み出したアントニオ・グラムシや、市民社会論的にヘーゲルを読み直したジョエーレ・ソラーリが挙げられる。
20世紀後半においてはマルチチュードを新たな概念として昇華したマルチチュード学派のアントニオ・ネグリや、ホモ・サケル論で知られるジョルジョ・アガンベンなどが活躍している。
音楽詳細は「イタリアの音楽(英語版)」を参照
この節の加筆が望まれています。 現在も世界で用いられる音楽用語の多数がイタリア語であることからもわかるように、イタリアはルネサンス音楽の後期からバロック音楽、古典派音楽の時代において西洋音楽の中心地であった。ルネサンス音楽ではジョヴァンニ・ダ・パレストリーナが知られている。 バロック音楽初期ではクラウディオ・モンテヴェルディ、中期ではアレッサンドロ・スカルラッティ、アルカンジェロ・コレッリ、後期ではアントニオ・ヴィヴァルディが名高い。 古典派音楽時代も当時としてはイタリアが音楽の中心地であったが、現代の視点から見れば、18世紀終盤からウィーン古典派の台頭、続くヨハン・ゼバスティアン・バッハの復権などによって主導権はドイツ・オーストリ圏に移った。古典派音楽時代のイタリアの作曲家にはドメニコ・チマローザ、ルイジ・ボッケリーニなどがいるが、ウィーン古典派に比べ、現代では演奏機会は比較的少ない。 ロマン派音楽時代もオペラに関してはイタリア音楽は人気を集め、前期においてはジョアッキーノ・ロッシーニ、ヴィンチェンツォ・ベッリーニ、ガエターノ・ドニゼッティらが活躍した。中期においてはジュゼッペ・ヴェルディ、後期にはジャコモ・プッチーニらの作曲家を輩出したイタリアがなお大勢力を保ち続け、今なおオペラといえばイタリアというイメージは強い(ただし、長年の財政難からカンパニーを維持できない歌劇場が多く、現在では上演数に関してはドイツに3倍の差をつけられてしまった。首都のローマ歌劇場すら今世紀に入って管弦楽団と合唱団の全員解雇が宣告されたことがある)。 一方で、交響曲など器楽曲分野では19世紀以降は発展が滞り、20世紀初頭の近代音楽の時代に入ってオットリーノ・レスピーギやジャン・フランチェスコ・マリピエロらが魅力的な作品を発表したが、既に音楽発展の中心地ではなくなっていた。 現代音楽においてはルイジ・ノーノやルチアーノ・ベリオが名高い。 ルネサンス後期のイタリア美術をマニエリスムという。それ以降、イタリア独自性は作品から消えてしまった。 19世紀後半、色彩豊かなマッキア派が登場した。20世紀はじめに未来派という好戦的なモードが生まれた。1910年代は形而上絵画という抽象画の量産が社会不安を象徴した。イタリアらしさは外圧に原像をかき消されて表現できなくなっていった。 第二次世界大戦後にアルテ・ポーヴェラやトランスアバンギャルドといった美術運動がみられた。
クラシック音楽
ポピュラー音楽が望まれています。
美術ベルニーニ作『聖テレジアの法悦』詳細は「イタリア美術」を参照
映画フェデリコ・フェリーニ詳細は「イタリア映画」を参照
イタリア映画の歴史はリュミエール兄弟が活動写真の公開を始めてからわずか数か月後に始まった。最初のイタリア映画は、教皇レオ13世がカメラに祝福して見せた数秒間のものだった。イタリアの映画産業は1903年から1908年の間に3つの映画会社とともに生まれた。ローマのチネス、トリノのアンブロシオ、イタラ・フィルム社がそれである。ほかの会社はすぐにミラノやナポリに設立された。まもなくこれら最初の会社は公正な制作力に達し、作品はすぐに外国に売られていった。映画はのちにベニート・ムッソリーニによって第二次世界大戦までプロパガンダのために使われた。
戦後、イタリアの映画は広く認知され、1980年ごろの芸術的な凋落まで輸出された。この時期の世界的に有名なイタリアの映画監督としては、ヴィットリオ・デ・シーカ、フェデリコ・フェリーニ、セルジオ・レオーネ、ルキノ・ヴィスコンティ、ピエル・パオロ・パゾリーニ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ダリオ・アルジェントなどの名が挙げられる。