1970 - 1980年代にヨーロッパ共同体(現・EU)加盟国との貿易が増加したが、イタリアは石炭や石油などの原材料を輸入に依存しているため、貿易赤字が続いていた。しかし90年代初頭、リラ切り下げで、外国市場にとってイタリア製品の価格が低下したため、輸出が増加した。貿易相手国の5分の3近くはEU加盟国で、おもな輸出相手国はドイツ、フランス、アメリカ合衆国、イギリス、スペイン、輸入相手国はドイツ、フランス、オランダ、イギリス、アメリカ合衆国、スペインなどである。イタリアはヨーロッパの輸出大国の中で、ドイツに伍して輸出が成長している唯一の国である。2008年より過去7年間、ドイツは7.8%、イタリアは7.6%の割合で輸出が成長している。輸出先で成長が著しいのは、南アメリカ(+79.3%)、トルコ(+35%)、OPEC諸国、ロシア、中国である。
イタリアはエネルギー資源の輸入国であり、ガス、石炭、石油の大部分を外国に依存している。イタリアの発電量の82%は、石油、天然ガス、石炭、亜炭を用いた火力発電が生み出しており、13%が水力発電によるものである。イタリアは1950年代後半から原子力発電の研究開発を開始し、当時の世界原子力技術で最先端であり、1965年時点には3カ所の原子力発電所が稼動していた。しかしながら1986年のチェルノブイリ原発事故などがきっかけとなり、1987年の国民投票で原発の全面停止を決定し、運転を停止する。1990年には停止中の原子力発電所の運転を再開しないことが決まった。
石油・ガス会社のEni (Eni S.p.A.) はイタリアでもっとも売り上げと利益の多い企業であり、スーパーメジャーの一角を占めている。もとは公営電力会社であったENELはヨーロッパにおける大手電力会社で、地熱発電技術では100年の経験蓄積がある。
南北格差1万リラ紙幣詳細は「南北経済格差(英語版)」を参照
戦前からミラノとローマがイタリア金融の中心である。主要銀行としてはEU圏1位の資本を持つウニクレディトなどがある。
イタリア経済が依然として抱える課題は、南部の工業化の遅れである。ミラノやトリノなどの北部は工業化が進んでいるが、南部やサルデーニャなどの島嶼部は農業や観光業や軽工業中心で南北格差が大きい。中心工業地帯はジェノヴァなどで、工業化が遅れている南部のターラントには半官半民の製鉄所があり、第三のイタリアが新たな経済の牽引役となっている。政府による工業化育成の努力も、労働力の問題や、多くの産業がマフィアとの結びつきによって成り立っているため大企業の南部進出が阻まれるといった複雑な現実に直面している。多くの労働者が職を求めて南部から北部へ移住しており(国内移民)、南部で耕作が放棄されるなどして一時期は大きな社会問題となった。
国内移民はルーマニアやポーランドなど、ほかのEU諸国からの移民や中東系の外国人移民が増加した現在では言及されることが少なくなった。しかし依然として北部・中部に比べて産業が乏しい南部・島嶼部という経済格差がある。北部の7州2自治州(ピエモンテ州、リグーリア州、ロンバルディア州、ヴェネト州、エミリア=ロマーニャ州、ヴァッレ・ダオスタ自治州、トレンティーノ=アルト・アディジェ自治州、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア自治州)、中部4州(トスカーナ州、ウンブリア州、マルケ州、ラツィオ州)はフランスのパリ周辺やドイツ西部の工業地帯に匹敵する経済力を有している。
対する南部5州(アブルッツォ州、カンパニア州、バジリカータ州、プーリア州、カラブリア州)は、戦後復興で著しい経済成長を遂げたアブルッツォ州を除いてポルトガルやギリシャなど欧州後進地域と同程度の経済水準から抜け出せていない。島嶼部2自治州(サルデーニャ自治州、シチリア自治州)では資源豊かな島という似た歴史を持ちながら明暗がはっきり分かれており、情報産業が発展したサルデーニャ島に対してシチリア島は農業中心で犯罪組織による経済への悪影響もいまだ根強い。
花形産業フィアット・500
イタリアの経済に占める自動車産業の割合は、国内総生産の8.5%にものぼる。国内ではコンパクトカー、エコノミーカーが上位を占め、エコロジカルな自動車の売れ行きが伸びている。輸出車の売上高は800億ユーロ(約10兆4,000億円)規模である。南北格差が要因となり輸出が伸び悩んでいる。フィアットがドイツのクライスラーやアメリカのゼネラルモーターズと提携している。北部の都市モデナにはフェラーリやランボルギーニ、アルファロメオがある。なお、フィアット・パンダは欧州における新車登録台数3万3,593台(2009年3月)でEUトップとなっている。2位はフォルクスワーゲン・ポロ。ジョルジオ・アルマーニ
19世紀ごろから近代服飾・装飾産業が発展し、20世紀から現在にかけては、服飾ブランドのベネトンやプラダ、グッチ、ジョルジオ・アルマーニやジャンニ・ヴェルサーチ、ジャンフランコ・フェレ、バレンチノ、靴のサルヴァトーレ・フェラガモやトッズ、宝飾品のブルガリなどが世界各国に輸出されている。
イタリアは幼稚園の先端的教育方法でアトリエリスタと呼ばれる芸術的、工芸的活動の専門家を配置し、人間を育成している。ヴァイオリンなどの楽器、ガラス細工や工芸美術品もおもな産業となっている。
ほかにも伝統的に映画産業や観光産業が盛んである。イタリア映画のみならず、イタリアを舞台にした映画が世界中で作られ公開されており、それらの映画が観光産業を後押ししていると評価されている。
世界観光機関によると、2015年イタリアの国際観光客到着数は5位であり、世界経済フォーラムの2017年旅行・観光競争力レポートによるとイタリアの競争力は136か国中8位である。「イタリアの観光(英語版)」も参照
交通詳細は「イタリアの交通」を参照
道路アッピア街道アウトストラーダ(イタリアの高速道路)の図「アウトストラーダ一覧」も参照
古くから地中海域の交通の要衝として栄えた。古代ローマのころには歴代執政官によって街道が整備され、それはアッピア街道のように史跡として残っているのみならず「執政官街道」と呼ばれ、現在も使用されている。ローマ帝国時代のローマは、「すべての道はローマに通ず」とさえ呼ばれた。新世界発見後は帝国郵便が整備された。
ムッソリーニ時代よりアウトストラーダ (Autostrada) と呼ばれる有料高速道路網が整備されはじめた。さらに、フィアット社のバックアップもあり高速道路網が全土に敷き詰められている。ただし車が便利と言い切れない。在ミラノ日本国総領事館は、「イタリアにおける運転手のマナーはほかの国と変わらず自己中心的で交通ルールはあってないようなもの、交通事故の危険性も日本に比較してはるかに高い」と説明している[19]。
鉄道フレッチャロッサ ETR500型詳細は「イタリアの鉄道」を参照
フェッロヴィーエ・デッロ・スタートのグループ会社であるトレニタリアと呼ばれる旧国鉄 (Ferrovie dello Stato) の業務を引き継ぐ民営鉄道会社が全土を網羅し、ローマ-フィレンツェ間の高速新線(ディレティッシマ)を中心にフレッチャロッサやフレッチャルジェント、フレッチャビアンカ呼ばれる高速列車も多数運転されている。