イタリア
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その後もイタリアはローマ帝国の中心地域として栄えたが、286年ディオクレティアヌスが帝国の統治機構および皇帝位を東西に分割すると[注釈 4]、イタリアは西の皇帝権(西方正帝)の管轄となった。5世紀末に西方正帝が廃止されるとローマ皇帝ゼノンによってオドアケルがローマ帝国のイタリア領主(dux Italiae)に任命され、これが国号としてのイタリアの走りとなった。紀元117年の帝国最大版図 (茶・緑)
ローマ帝国分割以降

オドアケルが493年東ローマ帝国に滅ぼされたあと、ローマ皇帝アナスタシウス1世によりテオドリックイタリア王位が授けられて東ゴート王国が設立されたが、その東ゴート王国も東ローマ帝国によって滅ぼされ、553年にイタリアは80年ぶりのローマ皇帝領となった。しかし、帝国にとってもはやイタリアは一属州にすぎず、さらにランゴバルド人の侵入により、ローマのイタリアに対する支配力は大きく低下した。なお、イタリアに常駐した最後のローマ皇帝は7世紀のコンスタンス2世である。彼は南イタリアとアフリカを中心に帝国を再編成しようと意図したが、失敗に終わった。8世紀には、東ローマ帝国の勢力はイタリア半島の南端部にまで後退した。その後は南端部の東ローマ帝国、シチリア島のイスラム教徒、ローマを中心としたローマ教皇領、北部には神聖ローマ皇帝といった勢力が割拠した。このほか多数の都市国家が発展、11世紀になると東ローマに代わりノルマン人が侵入した。これらの中にはイタリアの統一を試みる者もいたが、ローマ教皇庁の思惑もあって分裂状態が続いた。
近現代

18世紀末にイタリアに侵攻したフランスのナポレオン・ボナパルトは全イタリアを手中に納めたが、1815年にナポレオンが失脚するとヴェネツィアジェノヴァの共和国を除きほぼ元の分裂状態に戻った。ジュゼッペ・ガリバルディ
イタリア王国

1861年2月、ジュゼッペ・ガリバルディらの戦果を継承したサルデーニャヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が統一し、1861年3月17日イタリア王国を樹立した。王名が新生イタリアで1世に戻らないのは、ガリバルディらがナショナリズムを掲げたにもかかわらず、統一イタリアはサルデーニャ王国の版図そのものということにされたからである。1866年8月25日、不平等条約である日伊修好通商条約を締結し日本と国交を樹立した[注釈 5]1873年には岩倉使節団がイタリアのフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィアを歴訪しており、当時の様子が『米欧回覧実記』に一部イラストつきで詳しく記されている[10]

1922年ローマ進軍クーデターによりファシスト党ベニート・ムッソリーニ首相となる。ムッソリーニは権力の集中を進め、ファシズムによる独裁体制を確立させた。1929年にはローマ教皇庁との間にラテラノ条約を結び、関係を修復する。ムッソリーニ首相とヴィットーリオ・エマヌエーレ3世国王の指導のもと、政治経済の回復に成功し各国からの称賛を得たものの、1935年にはエチオピアを再度植民地化すべく第二次エチオピア戦争によりエチオピアへ侵攻するなど拡張政策をとる。さらに1937年には日本ドイツとともに日独伊防共協定を結び、1939年9月に勃発した第二次世界大戦には1940年6月に参戦。同年9月には日独伊三国同盟を締結、1941年12月にはドイツとともに対米宣戦布告を行った。しかし1943年7月、敗色が濃い中ムッソリーニは失脚し、イタリアは連合国側に鞍替え参戦する。同時に、救出されたムッソリーニを首班としたドイツの傀儡政権であるイタリア社会共和国が北イタリアを支配する状況になる。しかし、1945年5月8日にドイツが敗北したことにより同政権は崩壊した。
イタリア共和国

王位惜しさにムッソリーニの独裁を後押しした形のサヴォイア王家は国民の信頼を失いつつあった。伝統的に王国時代が長い南イタリアでは王室への強固な支持があったものの、都市国家の伝統ある北部は王家を信任せず、また王室の強い支持基盤であったカトリック教会が国民投票で中立を宣言したこともあり、大戦終結後の1946年6月2日に行われた共和制への移行を問う国民投票では賛成54%の僅差で王政廃止が決定された。ウンベルト2世は廃位、サヴォイア家による君主制は廃止され、現在のイタリア共和国が成立した。1948年に、初代大統領エンリコ・デ・ニコラが就任。その後の冷戦では、社会主義勢力の影響を受けながらも、アメリカ合衆国西ドイツなどとともに西側諸国の1国として東側諸国と対峙した。主要国首脳会議の参加国であり、現在も政治や経済だけでなく、文化的な側面においても世界的に重要な位置を占める。

2022年イタリア総選挙では中道右派連合が勝利した[11]

2023年にイタリアは一帯一路から離脱した[12]
政治大統領 セルジョ・マッタレッラ閣僚評議会議長(首相)ジョルジャ・メローニ詳細は「イタリアの政治」を参照
行政

国家元首は共和国大統領。選出方法は間接選挙制で、就任条件は50歳以上、任期は7年で再選制限はない。

通常は、内閣や議会の決定に基づく形式的な権限を行使するにすぎないが、首相任命権や議会解散権などを通じて実権を発動する可能性を秘めている。行政は首相率いる内閣が統轄する。首相は大統領が指名し、議会が承認する。各省の大臣は首相の指名に基づき、大統領が任命する。議院内閣制を採用しており、内閣は議会の信任を得なければならない。「イタリアの大統領」および「イタリアの首相」も参照

「おはよう、今日の首相は誰?」というジョークが広められるほど、首相の交代が頻繁な国として名高く、今もその傾向はおさまっていないが、1990年1月 - 2013年4月の間での首相は9人(延べ13人)と、日本の15人(延べ16人)に抜かれている。ちなみに、同じ議院内閣制の先進国での同期間における就任人数は、ドイツが3人、イギリスカナダが5人である。
立法イタリア議会 (Parlamento Italiano)

イタリア議会元老院(上院)と代議院(下院)で構成される両院制(二院制)である。元老院は、任期5年の民選議員(200議席)、および終身議員とで構成される。

終身議員には大統領経験者のほか、科学や芸術などの分野で国の名誉を高めた功労者の中から、大統領が指名した者が就任する。一方、代議院は全て民選の全400議席で、任期5年である。

また日本では衆議院の優越が認められているが、イタリアでは両院の権能は完全対等であり、双方とも大統領によって解散されうる。
憲法改革案を否決


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