高まる民族主義の流れを受けて、イタリアという領域を統合する国家の誕生を望む声が高まる中、紆余曲折を経てイタリア北西部のサルデーニャ=ピエモンテ王国による統一戦争(リソルジメント)が始まった。1861年、この戦いに最終的勝利を収めたサルデーニャ=ピエモンテ王国は教皇領、ナポリ王国などを併合、イタリア半島部と大陸部の大部分を征服して同地を統一した。サルデーニャ=ピエモンテ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は空位であったイタリア王位の復古と継承を宣言、サヴォイア朝イタリア王国が成立した。同時にイタリアの政治的統合にも成功したサヴォイア朝は、ローマ市を中心としたイタリア全域を支配する、実態の伴ったイタリア王位を復活させるという東ゴート王国以来の偉業を成し遂げた。
1946年、二度の世界大戦を経てファシスト政権への協力などにより、国民投票で王政廃止が決定された。王国は共和制に移行、王を初めとする貴族制度は全廃された。サヴォイア家による王位請求は継続されているが、再び実態を伴わない状態へと回帰したと言える。 肖像人名背景即位退位 肖像人名背景即位退位 肖像人名背景即位退位 肖像人名背景即位退位 肖像人名背景即位退位
歴代君主
人名は支配領域で用いられていたイタリア語の発音に基く
ヘルール時代
オドアクレヘルール族の王。ユリウス・ネポス帝を暗殺、ロムルス・アウグストゥルスを追放してイタリア本土の支配権を奪取。476年493年
東ゴート時代
テオドーリコ東ゴート族の王。オドアクレを破って王位を獲得する。493年526年
アタラーリテオドーリコの外孫。526年534年
テオダートテオドーリコの外甥。534年536年
ヴィティージェテオダートの重臣。536年540年
西ゴート時代
イルディバルド西ゴート王の甥。東ゴートの王として迎えられる。540年541年
エラーリコイルディバルドの親族、トーティラの従兄弟。541年541年
トーティライルディバルドの甥、エラーリコの従兄弟。541年552年
テーイアトーティラの重臣。ローマ軍に敗れ、再びイタリアはローマ皇帝の領域に戻る。551年553年
ランゴバルド時代
ガウシ朝
アルボイーノランゴバルド王アウドゥイン
内乱期
クレーフィアルボイーノの重臣。先王暗殺後、諸侯に推されてイタリア王に即位。諸侯同士の内乱(諸公爵の時代
アウタリ
アギルルフォ
肖像人名背景即位退位
アリオアルド諸公爵の一人。アダロアルドの妹グンデベルガの夫として即位。626年636年
アロディ朝諸公爵の一人。アリオアルド死後に権力を掌握、アロディ朝を開いた。636年652年
ロドアルドロータリの子。愛人の夫により僅か即位半年で暗殺される。652年653年
第二次バヴァリア朝テオデリンダの甥。ロータリ暗殺後にバイエルン人の支援でバヴァリア朝を復古した。653年661年
ベルタリードとゴデベルトアリペルト1世の子。王位を巡る兄弟争いの末にゴデベルトは暗殺され、ベルタリードも追放された。661年662年
ベネヴェント朝諸公爵の一人。南部イタリアを支配するベネヴェント公国を率いてベルタリードとゴデベルトの内乱に介入、最終的に王位を簒奪した。662年671年
ガリバルドグリモアルドの子。フランク王国に逃れていたベルタリードが帰還すると失脚する。671年671年
第三次バヴァリア朝アリペルト1世の子、ゴデベルトの兄。662年671年
肖像人名背景即位退位
アライス諸公爵の一人。バヴァリア朝に反乱を起こすが、短期間で征伐される。688年689年
肖像人名背景即位退位
クニペルトベルタリードの子。アライスを討伐して王位を奪還した。688年700年
リウトペルトクニペルトの子。700年701年
ラジンペルトゴデベルトの子、ベルタリードの甥。701年701年
アリペルト2世ラジンペルトの子。ベネヴェント公国・スポレト公国など南部諸侯に加え、ヴェネツィアの攻撃などに翻弄された末に戦死する。彼の死でバヴァリア朝イタリア王国は完全に断絶した。701年712年
末期の諸王朝諸公爵の一人。バヴァリア朝断絶後に王位へ推挙されるも、3ヶ月後に病没。712年712年