イタリア王
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1805年、近代に入ってコルシカ島出身のナポレオン・ボナパルトが神聖ローマ帝国を滅ぼした後、占領下に置いていた地域に傀儡国家を樹立するためにロンバルディアの鉄王冠を使ってイタリア王への即位を宣言した。形式的には神聖ローマ帝国の方法に従ったもので、やはり王権は一部地域に限られ、ナポリ王位なども並存する状態にあった。1814年、ナポレオンが失脚して全ての実権・称号を手放すと自動的にイタリア王位も放棄したと見なされた。しかし中世イタリア王の領域を獲得したオーストリア帝国は神聖ローマ時代を踏襲せず、結果として数十年にわたってイタリア王の称号は空位状態が続いた。
リソルジメント詳細は「リソルジメント」、「イタリア王国」、および「サヴォイア朝」を参照

高まる民族主義の流れを受けて、イタリアという領域を統合する国家の誕生を望む声が高まる中、紆余曲折を経てイタリア北西部のサルデーニャ=ピエモンテ王国による統一戦争(リソルジメント)が始まった。1861年、この戦いに最終的勝利を収めたサルデーニャ=ピエモンテ王国は教皇領、ナポリ王国などを併合、イタリア半島部と大陸部の大部分を征服して同地を統一した。サルデーニャ=ピエモンテ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は空位であったイタリア王位の復古と継承を宣言、サヴォイア朝イタリア王国が成立した。同時にイタリアの政治的統合にも成功したサヴォイア朝は、ローマ市を中心としたイタリア全域を支配する、実態の伴ったイタリア王位を復活させるという東ゴート王国以来の偉業を成し遂げた。

1946年、二度の世界大戦を経てファシスト政権への協力などにより、国民投票で王政廃止が決定された。王国は共和制に移行、王を初めとする貴族制度は全廃された。サヴォイア家による王位請求は継続されているが、再び実態を伴わない状態へと回帰したと言える。
歴代君主

人名は支配領域で用いられていた
イタリア語の発音に基く

ヘルール時代

肖像人名背景即位退位
オドアクレヘルール族の王。ユリウス・ネポス帝を暗殺、ロムルス・アウグストゥルスを追放してイタリア本土の支配権を奪取。476年493年

東ゴート時代

肖像人名背景即位退位
テオドーリコ東ゴート族の王。オドアクレを破って王位を獲得する。493年526年
アタラーリテオドーリコの外孫526年534年
テオダートテオドーリコの外甥。534年536年
ヴィティージェテオダートの重臣。536年540年

西ゴート時代

肖像人名背景即位退位
イルディバルド西ゴート王の甥。東ゴートの王として迎えられる。540年541年
エラーリコイルディバルドの親族、トーティラの従兄弟。541年541年
トーティライルディバルドの甥、エラーリコの従兄弟。541年552年
テーイアトーティラの重臣。ローマ軍に敗れ、再びイタリアはローマ皇帝の領域に戻る。551年553年

ランゴバルド時代
ガウシ朝

肖像人名背景即位退位
アルボイーノランゴバルド王アウドゥインの子。ローマ軍に勝利してガウシ朝イタリア王国を成立させる。568年572年

内乱期

肖像人名背景即位退位
クレーフィアルボイーノの重臣。先王暗殺後、諸侯に推されてイタリア王に即位。諸侯同士の内乱(諸公爵の時代)の渦中で暗殺される。572年574年
アウタリクレーフィの子。584年590年
アギルルフォ[1]クレーフィの甥、アウタリの従兄弟。590年[1]616年

肖像人名背景即位退位
アダロアルドバイエルン公女テオデリンダとアジルルフォの子。母方の一族から大きな影響を受けていた為、バヴァリア朝とも呼ばれる。616年626年

肖像人名背景即位退位
アリオアルド諸公爵の一人。アダロアルドの妹グンデベルガの夫として即位。626年636年

アロディ朝

肖像人名背景即位退位
ロータリ諸公爵の一人。アリオアルド死後に権力を掌握、アロディ朝を開いた。636年652年
ロドアルドロータリの子。愛人の夫により僅か即位半年で暗殺される。652年653年

第二次バヴァリア朝

肖像人名背景即位退位
アリペルト1世テオデリンダの甥。ロータリ暗殺後にバイエルン人の支援でバヴァリア朝を復古した。653年661年
ベルタリードとゴデベルトアリペルト1世の子。王位を巡る兄弟争いの末にゴデベルトは暗殺され、ベルタリードも追放された。661年662年

ベネヴェント朝

肖像人名背景即位退位
グリモアルド諸公爵の一人。南部イタリアを支配するベネヴェント公国を率いてベルタリードとゴデベルトの内乱に介入、最終的に王位を簒奪した。662年671年
ガリバルドグリモアルドの子。フランク王国に逃れていたベルタリードが帰還すると失脚する。671年671年

第三次バヴァリア朝

肖像人名背景即位退位
ベルタリードアリペルト1世の子、ゴデベルトの兄。662年671年

肖像人名背景即位退位
アライス諸公爵の一人。バヴァリア朝に反乱を起こすが、短期間で征伐される。688年689年

肖像人名背景即位退位
クニペルトベルタリードの子。アライスを討伐して王位を奪還した。688年700年
リウトペルトクニペルトの子。700年701年
ラジンペルトゴデベルトの子、ベルタリードの甥。701年701年
アリペルト2世ラジンペルトの子。ベネヴェント公国・スポレト公国など南部諸侯に加え、ヴェネツィアの攻撃などに翻弄された末に戦死する。彼の死でバヴァリア朝イタリア王国は完全に断絶した。701年712年

末期の諸王朝

肖像人名背景即位退位
アンスプランド諸公爵の一人。バヴァリア朝断絶後に王位へ推挙されるも、3ヶ月後に病没。712年712年


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