イタリアのエジプト侵攻
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注釈^ ムッソリーニは次のように自問した。「シディ・バラーニを占領して40日経過し、この停滞はどちらにとって有利であるか、我々であるか、それとも敵であるか、私は自問した。私はそれに答えるに躊躇しない。それは、我が方よりも確実に敵にとってより有利であった。」この結果は、侵攻前にムッソリーニが要求した戦果を挙げていなかった。「私は、貴官が現在対峙しているイギリス軍に攻撃を行なうことを求めているだけである[1]。」イタリア軍は彼らが対峙していたイギリス軍とは本格的な交戦が行なえず、彼らの前から撤退していく小規模な遅滞作戦部隊と限定的に接触しただけだった[2]
^ ウィリアム・ゴット指揮下の第7支援群は国境に配置され、イタリア軍の侵攻を遅滞させ時間をかせぐ任務にあたった[3]
^ リビア兵団は第1及び第2リビア師団 (en) とマレッティ戦闘団(臨時にリビア兵団隷下に属した機械化部隊だった。)で編制されていた[5]。他に参加したイタリア軍部隊は第63歩兵師団チレーネ (en) 、第62歩兵師団マルマリカ (en) 、第1黒シャツ師団3月23日 (en) 、及び第2黒シャツ師団10月28日 (en) だった[6]。侵攻は第1、第2リビア師団、第1黒シャツ師団、第63歩兵師団チレーネ及びマレッティ戦闘団の4個師団と1個機械化戦闘団が国境を越えることから侵攻が始まった[7]。第1黒シャツ師団はシディ・バラニを占領し、チレーネ師団はニベイワの西20 mi (32 km)で守備を固め[8]、マレッティ戦闘団はニベイワ近郊に位置した[5]。残りの部隊は侵攻を躊躇するかのような動きであった[6]
^ チャーチルによれば、イタリア軍の兵力は歩兵6個師団と戦車8個大隊だった、としている[9][10]
^ 第7機甲師団はマトルーフへ撤退し、その後を第7支援群が前線においてイタリア軍の侵攻を遅らせ、その状況を監視する任務を引き継いだ[3]。侵攻に対応した部隊は、キングス・ロイヤル・ライフル軍団第1大隊、ロイヤル・ノーサンバーランド・フュージリアーズ第1大隊、第1王立戦車連隊、ライフル旅団第2大隊、コールドストリームガーズ第3大隊、第11軽騎兵隊、自由フランス軍海兵隊1個機械化中隊及び王立騎馬砲兵 (en) の砲兵部隊だった[11]。チャーチルによれば、イギリス軍の防衛部隊は歩兵3個大隊、戦車1個大隊、砲兵3個中隊及び装甲車2個中隊で編制されていた[9][10]
^ チャーチルによれば、イギリス軍の死傷者は40名でイタリア軍の死傷者はその約10倍であり、150輌の車両が含まれていた[13][14]
^ 英国・エジプト優先同盟条約とも表記される[21]
^ 「西方砂漠軍」の訳語は、山崎 (2009)、p.196 による。
^ 「ジョック戦列」の訳語は平井訳、ムーアヘッド (1977)、pp.158-159. による。
^ 「リビア兵団」の訳語は『北アフリカ戦線』 (2009)、p.15 による。
^ 「マレッティ戦闘団」の訳語は『北アフリカ戦線』 (2009)、p.15 による。
^ ブレダの表記は吉川和篤・山野治夫 (2006)、pp.164-165., 170-171. による。
^ カプロニの表記は吉川和篤・山野治夫 (2006)、pp.210-211. による。
^ 石油備蓄が8か月しかなく、ドイツからの輸入も滞っていた[34]
^ 「中東方面軍」の訳語は「平井訳、ムーアヘッド (1977)、p. 130」及び「『北アフリカ戦線』 (2009)、p.48」による。
^ 戦闘が開始された時でも、彼には完全な部隊は無く、装備や火砲も不足していた。その戦力はニュージーランド第2師団(1個歩兵旅団、騎兵連隊(欠けた部隊があった)、機関銃大隊及び野戦砲兵連隊)、兵力の欠けていたインド第4歩兵師団(2個歩兵旅団及び砲兵部隊の一部)、第7機甲師団(通常3個戦車連隊で編成されるところを2個戦車連隊となっていた機甲旅団が2個)及び14個独立歩兵大隊だった[35]
^ この頃、8月5日にローマでムッソリーニ、バドリオ及びグラッツィアーニ3者会談が行なわれ、グラッツィアーニから開始時期が明言されなかったものの侵攻計画が説明されていた[39] 。また、8月11日にグラッツィアーニは、軍の威信保持を目的とした小規模な攻撃のみ可能とする、現地の状況確認の結果をローマに提出していた[39]
^ 数日前に1か月の延期を申し入れたが、他の者に代わらせると言われていた[10]

出典^ a b c d e Macksey, p. 35
^ a b c d Macksey, p. 47
^ a b c d Playfair (2004), p. 205
^ a b Wavell, p. 3001
^ a b Walker (2003) p.62
^ a b c Hunt, p. 51

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