イスラームは、「イーサーは人の姿をした神である、あるいは神の子である」といった考え方を拒絶しており、「イーサーは常人であって、他の預言者同様、神の言葉を広めるために選ばれた人間である」と主張する。イスラームの啓典は、シルク(Shirk。神以外の者の神格化)を禁じ、タウヒード(tawh?d。神の唯一性の概念)を強調する。クルアーンの中で、al-Mas??(油を注がれた者、清められた者。メシア)など、多くの称号がイーサーに付けられるが、これはキリスト教の教義による意味付けとは一致しない。しかし、イスラム教の救世主とは、世界を支配し、平和を確立し、すべての宗教をイスラム教に持ち込み、宗教を正義とするために 、神がイエスを選択したことを意味する。しかし顕著な称号に限っては、アラブのキリスト教徒もしばしばこれを使用する。イスラームではイーサーは、ムハンマド(マホメット)の前駆者であり、ムハンマドの出現を予言した者と認識されている[3][4]。 ムスリムはマルヤムによるイーサーの処女懐胎を信じており(厳密な処女懐胎の記述はない)、クルアーンでもいくつかの章にわたって語られている。クルアーンの物語によれば、寺院にこもっていた不妊の女マルヤムを天使ジブリール(ガブリエル)が訪れる。神の行動や伝達をジブリールが代理することは、イスラームでは一般的である[5][6]。彼はマルヤムにイーサーの受胎を告げる。マルヤムは驚愕したが、これは自らの処女性を神に誓約して保持するつもりだったからである[7]。天使はマルヤムを安心させて、この受胎が神にとっては容易なことであり、神はマルヤムに人類へのしるし (?ya) を示し、神からは慈悲 (ra?ma) を示すことを望んだのだと告げた[8]。クルアーンでは受胎は、アダムの創造と同じく、神の創造的天意による結果であると述べている。 クルアーン釈義学者の幾人かは、この出来事はイーサーの懐妊に帰着すると解説する。その後、マルヤムは『遠い場所』に避難した[3]。 イーサーを産み落とした後、マルヤムは出産の痛みに襲われ、ヤシの木の幹の付近で休んだ。イーサーは揺りかごからマルヤムに、木を振ってその実を採り、イーサーの懐妊によるスキャンダルを心配するマルヤムの恐れを和らげるよう告げた。マルヤムは新生児を家族に見せ、口さがない噂を黙らせるためにイーサーは次のように宣言する。「見よ、私は神の使用人である。神は私に聖書を与え、私を預言者とした。どこにいようとも、神は私に祝福を与えた。神は私に祈りを命じ、施しを与え、私が生きる限り、同様に、母を大切にするよう命じた。」[3][9]。 イスラームの経典によると、イーサーは神に選ばれて、絶対唯一神の神託と神の意志への服従をイスラエルの子ら (ban? isr?'?l) に説いた。ムスリムは、神はイーサーに新しい啓示インジール (Inj?l) を示し、また以前の啓示トーラーの正当性をも宣言したと信じている。クルアーンはインジールの優位を説き、インジールはそれを支持する者に平穏で憐れみに満ちた心をもたらす聖書だと説いている。ムスリムは、これらの聖書が時とともに、文面、解釈ともにゆがめられたのだと信じている[11]。 イーサーは、彼のことばを信じた弟子たち (haw?riy?n) の援助を受け、自身らを『アンサール(ans?r、神の助力者)』と称したとクルアーンは述べている。彼はまた、母マルヤムを訪れたのと同じ聖霊の支援を受けた[12]。 イーサーはイスラームにおいても、預言者の使命を与えられた証拠として、奇跡を起こしたと描写されている。こういった奇跡は、すべて神の許可を得て行われた。例えば以下のようなものである。
生涯
出生
布教活動ヨルダン川。ムスリムの解説のいくつかは、ここでイーサーがヤフヤー・イブン・ザカリヤ(キリスト教では洗礼者ヨハネ)と出会ったとする[10]。
まだ揺りかごに寝ているうちから話した[13]。
粘土でできた鳥に命を吹き込んだ[14]。
ハンセン病患者や生来の盲者を治療した[15]。
死者を甦らせた[15]。
弟子の祈願に応じて、祝祭のテーブルが天国から降りてくるよう要請した[16][3]。