イスラム教
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世界全体世界各国の信徒数の割合法学派の分布

今日、ムスリムは世界のいたるところでみられる。異論はあるが、2010年時点で16億人の信徒があると推定されていて[1]、キリスト教に次いで世界で2番目に多くの信者を持つ宗教である。ムスリムが居住する地域は現在ではほぼ世界中に広がっているが、そのうち西アジア北アフリカ中央アジア南アジア東南アジアが最もムスリムの多い地域とされる。特にイスラム教圏の伝統的な中心である西アジア・中東諸国では国民の大多数がムスリムであり、中にはイスラム教を国教と定めている国もある。

世界のムスリム人口は、多子化やアフリカ内陸部などでの布教の浸透によって、現在も拡大を続けているとされる。また、移民として欧米諸国など他宗教が多数派を占める地域への浸透も広まっており、イギリスではすでに国内第2位の信者数を有する宗教である。

日本人ムスリムの総数は、大規模な調査が行われていないこともあり、はっきりしていない。過去に行われた調査では数千?数万程度のばらつきのある数字が提示されているため、最大に見積もっても信徒数は5万名に届かないのではないかと推測されている。在日外国人まで含めた信者数についても諸説あり、5万人[5]、12万人[6]、18万人[7]など、人によって主張される数の開きは大きい。文化庁の宗教年鑑でも、イスラム教は、神道・仏教・キリスト教以外の「諸教の諸教団」に天理教などと共に含まれ、詳細な調査はほぼ行われていない。

トルコ、東ヨーロッパ、シリア、イラク、エジプト、インド、中央アジアにはオスマン帝国の公認学派であり、最も寛容で近代的であるとされるハナフィー学派スンナ派)が多い。その他の地域では、イランはジャアファル学派シーア派)、アラビア半島では最も厳格なことで知られるハンバル学派(スンナ派)、マグリブマーリク学派(スンナ派)、東南アジア、東アフリカはシャーフィイー学(スンナ派)。

聖典のクルアーンは、アラビア語で書かれたものしか認められず、外国語に翻訳しても、聖典を理解するための補助文書でしかないが、こうしたことから、イスラム教は少なくともその成立当初はアラビア語を解するアラブ人のための民族宗教という一面を持っていたと指摘されることもあった。しかし一方で、クルアーンは全人類のために下された啓典といわれており、現実にイスラーム教徒は民族を超えて世界中に存在していることから、イスラームは普遍宗教であるというのが通説である。アラビア語がこれほど意識されている理由は、預言者ムハンマドが神から授かった言葉そのままの姿を残す意味にあり、クルアーンにはアラビア語でしか伝わらない言語的奇跡も含まれているからだとされる。ただし、イスラームが普遍宗教となって以降も、アラブ人ムスリムを中心に残っている。
教義

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六信五行と五信十行

イスラム教(スンナ派)の信仰の根幹は、六信五行、すなわち、6つの信仰箇条と、5つの信仰行為から成り立っている。

六信は、次の6つである。
万能神(アッラーフ

天使(マラーイカ)

啓典(クトゥブ)

使徒(ルスル)

来世(アーヒラ)

定命(カダル)

このうち、特にイスラム教の根本的な教義に関わるものが使徒(ルスル)である。ムスリムは、アッラーが唯一の神であることと、その招命を受けて預言者となったムハンマドが真正なる神の使徒であることを固く信じる。イスラム教に入信し、ムスリムになろうとする者は、証人の前で「アッラーフのほかに信仰は無し」「ムハンマドは神の使徒なり」の2句からなる信仰告白(シャハーダ)を行うこととされている。

また、ムスリムが取るべき信仰行為として定められた五行(五柱ともいう)は、次の5つとされている。
告白(シャハーダ)

礼拝(サラー)

喜捨(ザカート)

断食(サウム)

巡礼(ハッジ)

これに、ジハード努力聖戦)を6つめの柱として加えようという意見もあるが、伝統的には上の5つである。

これらの信仰行為は、礼拝であれば1日のうちの決まった時間、断食であれば1年のうちの決まった月(ラマダーン、ラマダン)に、すべてのムスリムが一斉に行うものとされている。このような行為を集団で一体的に行うことにより、ムスリム同士はお互いの紐帯を認識し、ムスリムの共同体の一体感を高めている。集団の一体感が最高潮に達する信仰行為が巡礼(ハッジ)であり、1年のうちの決まった日に、イスラム教の聖地であるサウジアラビアメッカ(マッカ)ですべての巡礼者が定まったスケジュールに従い、同じ順路を辿って一連の儀礼を体験する。

一方、シーア派では、五信(神の唯一性、神の正義、預言者、イマーム、来世)、十行(礼拝、喜捨、断食、巡礼、五分の一税、ジハード、善行、悪行の阻止、預言者とその家族への愛、預言者とその家族の敵との絶縁)となる。
預言者ムハンマド

「イスラーム」とは、唯一神アッラーへの絶対服従を意味しており、モーセ(ムーサー)やイエス(イーサー)も預言者として認めている。ただし、イエスもムハンマドもあくまで人間として考えており、それゆえ、イスラーム暦の元年はムハンマド生誕の年ではなく、西暦622年メディナにウンマができたヒジュラの年を元年にしている。
教典
クルアーン詳細は「クルアーン」を参照ナスフ体によるクルアーン(コーラン)

イスラム教の教典聖典)としてすべてのムスリムが認め、従うのは、アラビア語で「朗唱されるもの」という意味をもつクルアーン(コーラン)唯ひとつである。クルアーン(コーラン)はムハンマドが最後の預言者として語った内容が、ムハンマドおよび後継者の代によって編集され、書物となったものである。

モーセイエスなどの預言者たちが説いた教えを、最後の預言者であるムハンマドが完全な形にしたとされている。

クルアーン自身の語るところによれば、クルアーンとは、唯一なる神が、人類に遣わした最後にして最高の預言者であるムハンマドを通じて、ウンマに遣わした啓典(キターブ)であり、ムスリムにとっては、神の言葉そのものとして社会生活のすべてを律する最も重要な行動の指針となる。
スンナとハディース集

イスラームの教典としてすべてのムスリムがその内容を認める(認めることがムスリムとしての絶対条件とされる)のはクルアーンのみであるが、実際にはクルアーンに次ぐ事実上の聖典と言える書物が存在する。

そもそも預言者ムハンマドの在世中から、ムスリム達はムハンマドが神の言葉として語ったクルアーン(として後に纏められる物)についで、ムハンマドが自分自身の言葉として語ったものや、ムハンマドの行動をスンナ(慣習)として尊び、クルアーンに次ぐ指針としてきた。預言者ムハンマドの没後には、これらのスンナが識者達の伝承として伝えられていく。この伝承をハディースとよぶ。9世紀にはブハーリーやムスリムをはじめとする学者達がこれらのハディースの収集と記録に取り掛かり、ハディースの真偽を問うハディース学も発展した。

とりわけブハーリーとムスリムの記したハディース集は、後代のスンナ派の学者達によってすべてのハディースが真正であるという合意(コンセンサス、イジュマー)が得られており、そのためこの二つの真正集は「両真正集(サヒーハーニ)」と呼ばれ、前近代のスンナ派においては事実上の聖典として、クルアーンに次ぐ地位を与えられた。シーア派でも、独自の基準で厳選されたムハンマドやイマーム達のハディース集が同様の扱いを受けた。

しかし近代に入ると、ヨーロッパ世界をはじめとする非イスラーム世界の学者達のハディース批判の影響を受け、ムスリム法学者との議論が続く中なのにも関わらず、両真正集のハディースや、甚だしくはハディースすべてを後代のイスラーム共同体による捏造として否認する少数派ムスリムも現れるようになった(クルアーン主義)。
聖書

イスラム教ではクルアーン以前にも神の啓示を記した書物としてユダヤ教とキリスト教の聖書があるとしていて、実際にクルアーンでも「クルアーンは聖書の正しさを証明するためにある」という趣旨の言葉が綴られている箇所が数多くある。具体的に名前が挙げられているのは「タウラート」(モーセ五書)、「ザブール」(詩篇)、「インジール」(福音書)である。このことだけ見れば、これらの書物も、アル=クルアーン同様神の言葉であり、聖典として尊ばなければならないということになる。

しかしユダヤ教徒やキリスト教徒が現在用いている聖書は改竄と捏造を繰り返されたもので、聖典としての価値を失っているとみなしている。そのため現在に至るまでムスリムが聖書を読むことは、宗教知識人などを除けばほとんどない。
偶像崇拝の禁止

イスラームにおいては偶像崇拝の禁止が徹底されている。イスラームは神の唯一性を重視するため、預言者の姿を描く絵画的表現は許されない。それゆえ、ムスリムが礼拝をおこなうモスクには、他宗教の寺院や聖堂とは異なり、内部には宗教シンボルや聖像など偶像になりうる可能性が存在するあらゆるものがない。


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