ハイチ支配下で要職はハイチ人が占め、対仏賠償を払うための税金がサントドミンゴ側に課せられるなどの屈辱的な状況下で、スペイン人やメスティーソたちは独立運動を模索した。1838年にフアン・パブロ・ドゥアルテ(スペイン語版、英語版)(Juan Pablo Duarte)が秘密結社ラ・トリニタリア(スペイン語版、英語版)(La Trinitaria)を結成し、1844年にドミニカ共和国独立を成し遂げた。この際のハイチに対する決戦の功績でマティアス・ラモン・メラ(スペイン語版、英語版)(Matias Ramon Mella)とフランシスコ・デル・ロザリオ・サンチェス(スペイン語版、英語版)(Francisco del Rosario Sanchez)はドゥアルテ同様英雄と称えられている。ラ・トリニタリアを支援した富裕な牧場主ペドロ・サンタナ(スペイン語版、英語版)が初代大統領となりアメリカ合衆国憲法にならった憲法を制定した。
ハイチ側では元黒人奴隷の将軍フォースタン=エリ・スールーク(英語版)が事態を収拾し、皇帝に即位した。これに対しハイチの侵攻を恐れるドミニカ共和国は1861年、保護を求めスペイン植民地に逆戻りするが再度の植民地支配に対して反発も強まった。ハイチは独立運動を金銭や拠点の面から支援し、1865年ドミニカ共和国は再独立した。ドミニカ共和国側はスペインという大きな悪よりハイチという小さな悪を選んだ形だったが、ハイチを恐れアメリカ保護領になる提案も出したが合衆国が拒否して失敗した。ドミニカ共和国側では再独立戦争に勝利した黒人軍人ウリセス・ウロ(Ulises Heureaux)がドミニカの大統領として君臨した。19世紀末にはハイチもドミニカも安定し、エリート層と農民層の対立は残しつつ、近代化へ向けた歩みを始める。
アメリカの介入イスパニョーラ島では20世紀に森林伐採が進んだ。特に西側のハイチで乱伐が進行した。森林被覆率が40%のドミニカ共和国に対して、ハイチの森林被覆率は2%にまで低下しており、衛星画像でもやや緑で覆われたドミニカ側とはげ山のハイチ側がはっきりとわかる。
1906年ドミニカ共和国は、ウロ大統領後の混乱収拾と列強に対する債務返済のため、アメリカ合衆国が50年にわたりドミニカ共和国の関税徴収を行う代わりに債務返済の保証をするという提案を受け入れ、事実上の保護国となった。この時期ハイチも対仏賠償や各国への債務が返せず財政難と混乱が続いた。第一次世界大戦時、両国の内政混乱に付け込み列強(特にドイツ帝国)が手を伸ばすのを避けるため、アメリカ軍は1915年にはハイチに、1916年にはドミニカ共和国に出兵して両国を占領した。両国はアメリカ軍支配下で債務を返済し、経済基盤や政治を改善し大規模農業を導入し、有力者の私兵や軍閥に代えて強力で統一された警察や国軍を作るが、これが後に両国の軍部独裁の種となる。
両国ではアメリカ軍への反発が高まり、アメリカも両国を維持する経済力や利益に限界があったため、財政を管理し保護国状態を続けたまま軍は撤退させた。ドミニカ共和国は1924年に、ハイチは1934年にアメリカ軍支配を脱し選挙が復活したが、ドミニカ共和国では1930年に陸軍参謀総長ラファエル・トルヒーヨが大統領に当選し以後30年にわたり国家を私物化する。トルヒーヨは1937年、領内のハイチ人農園労働者ストに際してハイチ人の皆殺しを指示し1日で17,000人から35,000人が殺された(パセリの虐殺)。ドミニカ共和国はハイチに75万ドルの賠償を払ったが、カトリック教会とエリート層に支持され反共的な姿勢がアメリカの支持を受けていたトルヒーヨの支配は揺るがなかった。詳細は「米州相互援助条約」および「キューバ危機」を参照「トントン・マクート」および「死の部隊」も参照
一方ハイチではエリート層を構成するムラートの政権が続いたが、多数派黒人の圧力が高まりクーデターや政争が続いた。1957年、黒人の庶民派フランソワ・デュバリエが大統領となったが、彼は独裁権力をふるうようになり1986年まで親子2代にわたる独裁政権がハイチを停滞させた。入れ替わるように、ドミニカ共和国ではトルヒーヨ政権が倒れた。反独裁の動きの中で、第2のキューバ革命勃発を恐れたアメリカはトルヒーヨを見放し、トルヒーヨは1961年に暗殺された。1965年のドミニカ内戦(英語版)(ドミニカ侵攻)後も軍事政権は続くがホアキン・バラゲール大統領が強権的ながらも政治と経済を安定させ、ドミニカ経済はアメリカの支援もあり回復していった。「FRAPH」も参照
20世紀末以降、ドミニカ共和国はきわめて安定した政治のもと経済発展を続けているが、一方のハイチはデュバリエ政権崩壊後も不安定な政情が続き、世界最貧国の一つとなっている。
地理Lac Peligre, ハイチ
イスパニョーラ島には5つの大きな山脈が走る。中央山脈(ドミニカ共和国ではCordillera Central コルディジェーラ・セントラルと呼ばれる)が島の中央を北西から南東方向に伸び、ドミニカ共和国側の南海岸からハイチの北西部(Massif du Nord マッシフ・デュ・ノール、北部山塊)に至る。この山脈には、島の最高峰で大アンティル諸島の最高峰でもあるピコ・ドゥアルテ(Pico Duarte、3,087m)がある。中央山脈の北に並行して、セプテントリオナル山脈(Cordillera Septentrional コルディジェーラ・セプテントリオナル、北部山脈)が、東のサマナ半島(Samana Peninsula)からドミニカ共和国の北海岸を走る。その最高峰はピコ・ディエゴ・デ・オカンポ(Pico Diego de Ocampo)である。中央山脈とセプテントリオナル山脈の間はドミニカ共和国側はシバオ・バレー(Cibao Valley)と大西洋海岸平野、ハイチ側では北部平野となっており、両国の農業地帯になっている。ドミニカ共和国の南東部にはより低い山脈、オリエンタル山脈(Cordillera Oriental コルディレラ・オリエンタル)が走る。
シエラ・デ・ネイバ(Sierra de Neiba)は中央山脈の南にあり、ドミニカ共和国南西から北西方向に伸び、ハイチ中部に至りゴナイーブ湾に出る(ハイチではノワール山地 Montagnes Noires、Chaine des Matheux、Montagnes du Trou d'Eau などになる)。
南部山脈はドミニカ共和国最南端のシエラ・デ・バオルコ(Sierra de Bahoruco)に始まり、ハイチのセル山地(Massif de la Selle)とオット山地(Massif de la Hotte)になりハイチ南部の細長い半島・チビュロン半島を形成する。この山地にあるラ・セル山(Pic de la Selle)がハイチの最高峰(2,680m)になる。南部山脈とシエラ・デ・ネイバの間は低地であり、ハイチではクルドサック平野(Cul-de-Sac)と呼ばれ、その西端にハイチの首都ポルトープランスはある。この低地には塩水湖が連なり、ハイチのソーマトル湖(Saumatre)、ドミニカ共和国のエンリキーヨ湖(Enriquillo)が代表的である。
イスパニョーラ島は、南のカリブプレートと北にある北アメリカプレートが接する沈み込み帯の上にある。カリブ海プレートは北アメリカプレートに対して年に20mmずつ東へ動いており、イスパニョーラ島に東西の横ずれ断層を作り出している。ハイチ北部にはセプテントリオナル断層(Septentrional fault)が、ハイチ南部にはエンキリーヨ=プランテイン・ガーデン断層(Enriquillo-Plaintain Garden fault)がある。2010年1月のハイチ地震を起こしたのはエンキリーヨ=プランテイン・ガーデン断層で[2][3][4][5]、250年間地震の記録がなく歪みが蓄積していた[6][7]。
生態系エンキリーヨ湖
イスパニョーラ島の気候は湿潤な熱帯気候である。
島の生態系は大きく4つにわかれる。イスパニョーラ湿潤林(Hispaniolan moist forests)は島のおよそ50%、とくに湿った風が山脈に当たり雲となり大雨を降らせる北部と東部の海抜2,100m以下の陸地を覆っている。イスパニョーラ乾燥林(Hispaniolan dry forests)は島の20%、山脈の陰となり雨のあまり降らない中央部シバオ・バレーや南部と西部の低地を覆っている。
イスパニョーラ針葉樹林(Hispaniolan pine forests)は山がちな島の面積の15%にあたる、海抜850m以上の高山部を覆っている。エンキリーヨ湿地(Enriquillo wetlands)は水につかった草原やサバンナで、島の南西部の低地に連なる塩水湖や潟の周囲を覆っている。
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、イスパニョーラ島に関連するカテゴリがあります。
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不都合な真実:森林が残るドミニカ共和国と森林が荒廃したハイチの様子を衛星画像で見せ「政策によって環境が変わること」を示した。