イサベル1世_(カスティーリャ女王)
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フェルナンド1世           
  
                    

  フアン2世    (アラゴン王)
フアン2世         

                     
    
  エンリケ4世イサベル1世 フェルナンド5世ハプスブルク家)            
  
                     

  フアナ  フアナ  フェリペ1世          
   
                   

         (アブスブルゴ朝)    

1464年、アルフォンソにアストゥリアス公の称号が贈られ、さらに「国王アルフォンソ12世」として推戴する動きもあったが、一国に2人の君主がいる状況は内乱を招いた。この状態は1468年のアルフォンソの死によって終止符が打たれる。アルフォンソの支持者はイサベルを次の国王に据えようとしたが、イサベルは「兄が生きている間は他の王を戴くべきではない」と、兄の娘かどうか不明なフアナよりは自身の王位継承順が高いことを示す拒否の仕方をした。

イサベル自身もポルトガルに嫁がされようとしていたが、事前にその危険を察知し、同盟相手として必要なのはポルトガルではなく、結婚相手としてふさわしいのは地中海に領海権を持つアラゴン=カタルーニャ王国の王子フェルナンドであると結論を下した。アラゴン王家はカスティーリャと同じトラスタマラ家の同族であり、フェルナンドとイサベルはともにカスティーリャ王フアン1世を曾祖父とする又従姉弟であった。かくして2人は密かに会い、結婚して国内問題に取り組んだ。1474年にエンリケ4世が没し、イサベルは夫フェルナンドと共同で王位に就いた。

1476年3月、トーロの戦い(英語版)でカスティーリャの王位継承問題に介入してきたポルトガル王アフォンソ5世(フアナの夫)に勝利すると、1479年9月にアルカソヴァス条約(英語版)を締結し、カスティーリャの王位継承権を放棄させた。

さらにカスティーリャ領内の反イサベル派を北から南へ討伐していく。その中途の1479年1月、フェルナンドも父フアン2世崩御に伴ってアラゴン王位を継承し、カスティーリャ=アラゴン連合王国、すなわちスペイン王国(イスパニア王国)が成立した。
「カトリック両王」『グラナダの降伏(英語版)』(右手前馬上がイサベル) コロンブスの帰国(ウジェーヌ・ドラクロワ作,1839年の作品)

1492年1月、南部に残っていたイスラム国家グラナダ王国を制圧し(「グラナダ陥落」とも呼ばれる)、約800年にわたったレコンキスタを完成させる。この間イサベルは戦場を奔走する夫を信頼し、軍資金や物資の調達に尽力した。このグラナダ陥落までの3年間(9ヶ月とも)、願懸けとして下着を替えなかったといわれている。これにちなんで、イザベル色(茶色がかった灰色)という色が誕生した[2]

1496年には、ローマ教皇アレクサンデル6世によりこの偉業が讃えられ、フェルナンドとイサベルは「カトリック両王」の称号を授けられることになった。

イサベルはコロンブスの新大陸進出に援助を与えた事でも知られる。熱狂的なカトリック教徒であったイサベルは、他宗教の民衆を執拗に追放・殺戮し、また他宗教からキリスト教へ改宗した民衆に対したびたび異端審問を行い、財産の没収・追放・処刑等を行っている。イサベル1世が築いた国の基礎はスペインに黄金時代をもたらした。イサベルとフェルナンドの時代をスペインの黄金時代と定義する場合もある。コロンブスを始め、沢山の「冒険家」により「新大陸が発見」され、その土地とそこから産出される様々な品により国は潤ったが、それを上手く使って国を豊かに出来る君主が現れなかったという見方である。
次代のゆくえ遺言をのこすイサベル女王(エドゥアルド・ロサレス作、1864年の絵画)

しかし、この時点ではまだスペインは一つの国ではなく、君主同士が結婚している状況であったため、イサベルの死後に相続問題が起きる原因になる。また、イサベルは自分が王妃ではなく女王でもあること、フェルナンドよりも年上であることを常に忘れなかったと言われる。フェルナンドとの子供たちはイングランドやポルトガルなど、各国の王族と政略結婚をするが、多くは不運な人生を歩んだ。

1497年、ハプスブルク家とは二重結婚を行った。フアン王太子が結婚早々に逝去し、次女フアナフィリップ美公(フェリペ1世)との夫婦関係に苦しみ、後に精神を病んでしまう。1498年に長女イサベルが再婚後に産褥死し、その遺児ミゲルも1500年に夭折したため、次代の王位はフアナの夫の家系であるアブスブルゴ家に受け継がれることが確定的になる。

1501年11月には末娘カタリナがイングランドのアーサー王太子と結婚するが、翌年4月に死別する。


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