1985年12月、イギーとボウイはカリブ海のマスティク島に滞在し、3ヶ月かけて新作のための曲を共作した[注 104]。 1987年、リリースに伴う短期間のツアーから、プリテンダーズのサポートアクトとしてツアーを再開させる[54]までの間、イギーは坂本龍一のアルバム『ネオ・ジオ』に歌詞とヴォーカルを提供した。これは坂本からの要望ではなく[注 110]、本作の共同プロデュースを務めたビル・ラズウェルからの要請に応えたもので[注 111]、イギーはラズウェルとともにハワイにあるジョージ・ベンソン所有のスタジオでヴォーカルを収録した[9]。この曲「リスキー」は日本国内で坂本が出演した日産セドリックのCMに採用され[92]、日本国内でのイギーの知名度向上に寄与した。また、このコラボレーションが成功したことで、イギーとラズウェルの間に交流が生まれ、2人はイギーの自宅で次作に関するプランを頻繁に話し合うことになった[10]。 その後も、ヘヴィメタル、グランジといったハードロックの新たなムーヴメントが起こるたびに評価が高まるというキャリアを送る中、元セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズ(『ブラー・ブラー・ブラー』『インスティンクト』『アメリカン・シーザー』)、ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュとダフ・マッケイガン(『ブリック・バイ・ブリック』)、ライ・クーダーやジャクソン・ブラウンとのセッションで知られるデヴィッド・リンドレー(『ブリック・バイ・ブリック』)、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、ボニー・レイットを手がけたプロデューサーのドン・ワズ 1996年、大ヒットした映画『トレインスポッティング』の挿入歌に『ラスト・フォー・ライフ』が使用された事で世界的に再評価される。
翌1986年5月、スイスモントルーのマウンテン・スタジオに移り、ボウイとの共同プロデューサーとしてデヴィッド・リチャーズ(英語版)を迎え、レコーディングを行った[注 105][注 106]。
レコーディング終了後に配布されたテープにはA&Mとヴァージン・アメリカが反応し、最終的ににA&Mが500,000ドルの契約金を提示して、配給権を獲得した[10]。
1986年10月23日、『ブラー・ブラー・ブラー(英語版)』と名付けられた4年振りの新作がリリースされた。A&Mはこのアルバムを慎重にプロモートすることを心がけた。PR写真は休養期間中に獲得したセレブレティイメージそのままの物を使用し[注 107]、リリースに伴うツアーはイギーの人気が高く、集客を見込め、その後のプロモート用映像に使用する際にも好都合な大都市を重点的に回る短期間のものに留めた[54]。その他の地域ではテレビ出演を中心としたプロモートに徹し、新曲「リアル・ワイルド・チャイルド (ワイルド・ワン)(英語版)」の宣伝に努めた[注 108]。イギーもこれまでと異なり、レーベルの期待通りの応対を各所で見せ、アルバムやシングルのセールス寄与に気を配った[注 109][10][9][90]。
結果的に『ブラー・ブラー・ブラー』は、イギーのアルバムとしては『イディオット』以来のビルボード100位以内にチャートイン(最高位72位)し[91]、イギリスでも『ラスト・フォー・ライフ』以来の50位以内(最高位43位)を記録した[48]。イギリスではこれに加えてシングル「リアル・ワイルド・チャイルド (ワイルド・ワン)」がチャート最高位10位を記録し[48]、イギーのヨーロッパにおける人気の高さと、商業的な可能性を改めて証明することになり、音楽業界第一線への復帰に花を添えた。
リスキー
ブラー・ブラー・ブラー以降
1999年にはそれまで住んでいたニューヨークを去り、マイアミに移住。その時に知り合った女性Nina Aluとは2008年に正式に再婚[93]する。
2010年、ストゥージズ名義で『ロックの殿堂』入りを果たす。しかし2016年頃に、バンドは再び活動停止。
2012年、ケシャのアルバム『Warrior』の収録曲「ダーティー・ラヴ(Dirty Love)」に参加。[94]
ジンジャー・ベイカーとのコラボで、ブラック・キーズのトリビュートアルバム『Black On Blues - A tribute to the Black Keys』で「Lonely Boy」をカバー。
同年、ミシガンのロックンロール伝説の殿堂(Michigan Rock and Roll Legends Hall of Fame)入りを果たした。[95]
2014年3月、NYのカーネギー・ホールで開催された<Tibet House US Benifit Concert 2014>に出演した際、ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョンの曲、「Californian Grass」「Transmission」「Love Will Tear Us Apart」をパフォーマンスした。[96]10月にBBCが主催するジョン・ピール講座で、「資本主義社会における無償の音楽」[97]という題で講演を行った。[98]