オスターバーグはミシガン州アナーバーの高校在学時にドラマーとして音楽キャリアを開始した。いくつかのバンドでプレイしたが、そのうちのひとつ、ジ・イグアナズ(英語版)ではボ・ディドリーの「モナ (ボ・ディドリーの曲)(英語版)」をカヴァーしたシングルをリリースしている[10][注 3][注 4]。
1965年、ミシガン大学に進学したが翌年には退学し、レコードショップ「Discount Records」に勤務しつつ[注 5]ブールスバンド、ザ・プライム・ムーヴァーズ(英語版)に加入して、初めてステージネームを名乗った[15]。
このザ・プライム・ムーヴァーズ在籍中にポール・バターフィールド・ブルース・バンドと偶然出会い、その際に憧れていた元メンバーのサム・レイ(英語版)の連絡先をバターフィールドから教えてもらったため、イギーはシカゴにあるレイの自宅に向かった[15]。
訪問時にレイは不在だったが彼の妻に温かく迎えられ、ジャズやブルースを扱うレコード屋の店長を紹介された[16][注 6]。その店長やレイの紹介もあってリトル・ウォルターやマジック・サムといった高名なミュージシャンたちと共演する機会に恵まれたが、その結果、白人の自分に本当のブルースを演奏するのは無理と痛感し、8ヶ月程度の滞在でアナーバーに戻った[17]際には「自分のような若者に向けた音楽」をプレイしようと決心していた[16][18]。
アナーバーに戻ったイギーは高校の1年後輩で友人だったロン・アシュトン[注 7]を誘ってバンドを結成した。ロンの弟・スコット・アシュトンをドラムスとし[注 8]、ロンは最初はベースだったが途中でギタリストに転向して、代わりのベーシストとしてアシュトン兄弟の友人だったデイヴ・アレクサンダー(英語版)[19]を加入させた[16]。
結成当初は準備期間ということもあって表立った音楽活動はしていなかった[16]が、あるきっかけからバンド活動に本腰が入る。そのきっかけとしてイギーはニュージャージー州プリンストンのガールズ・ロックバンド、ジ・アンタッチャブルの演奏を聞いたことを挙げている[20]。俺たちはザ・ダーティ・シェイムズってバンドのコンセプトを持ってた時期があった。まあ、パーティで自慢するためだけのバンドだよ。「俺たちはザ・ダーティ・シェイムズってバンドを組んでるんだぜ。」って他のバンドマンに言って回ってたんだ。まだ演奏なんかしちゃいなくて、ザ・ストゥージズだろうがザ・ダーティ・シェイムズだろうが似たようなもんだった。ちゃんとバンドとして活動しないとな、と決心したきっかけはニューヨークに旅行に行った後だ。そこでティーンエイジャーの女の子たちから「私たちもバンドを組んでるの。聞いてみる?」と言われたんでニュージャージーのプリンストンまで車を飛ばして行ったんだ。彼女たちの実家の地下室で演奏を聞いたんだが、見事なものでね。俺たちよりもはるかに上手かった。あれは恥ずかしかったな[18]。 イギーたちはバンド名をザ・サイケデリック・ストゥージズと決め、改めて活動を本格化させた。最初のギグは、ミシガン州デトロイトにある家のハロウィンパーティーで行われた[16]。この時はまだイギーはリードヴォーカルを担当しておらず、インストゥルメンタルバンドとして演奏を披露した[16][注 9]。
ザ・ストゥージズ: 1968年 - 1974年詳細は「ザ・ストゥージズ#来歴」を参照
ザ・ストゥージズ: 1968年 - 1971年