イギー・ポップ
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2月、NYのカーネギー・ホールで開催された<Tibet House Benefit Concert 2020>に、フィリップ・グラスパティ・スミスローリー・アンダーソンらと出演。[118]
影響

パンクのゴッドファーザーという異名を持ち、ライブにおける過激なパフォーマンス、そしてストゥージス自体は、セックス・ピストルズダムドスレイヤーデフ・レパードガンズ・アンド・ローゼズレッド・ホット・チリ・ペッパーズサウンドガーデンレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンホワイト・ストライプスマッドハニーなどに深い影響を与え、彼らにこぞってカバーされている。特にホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトは2ndアルバム『ファン・ハウス』を、セックス・ピストルズのジョニー・ロットンニルヴァーナカート・コバーン、元ザ・スミスモリッシージョニー・マーエコー&ザ・バニーメンイアン・マッカロクは3rdアルバム『ロー・パワー』をフェイバリットに挙げている。
日本との関係

初来日は『イディオット』のプロモーションで来日した1977年。アルバム・プロデューサーである
デヴィッド・ボウイ同伴での来日だった。この時、写真家の鋤田正義が彼ら2人を原宿のスタジオで撮影。それが後に『ヒーローズ』(ボウイ)と『パーティー』(イギー)のアルバム・ジャケットとなる。

1979年には『ニュー・ヴァリューズ』のプロモーションで再来日。写真家の佐藤ジンとのフォトセッション[119]を行なう。

1983年の初来日公演時に観客としてステージを見ていた日本人女性スチを見初め、その後結婚した[82](1998年(1999年説あり)に離婚)。

1998年のフジロックフェスティバルでは、熱狂した観客100人以上をイギーがステージに上げてしまい、客にマイクを取られるなどパニック状態になったが会場が大盛り上がりになった。

ディスコグラフィ詳細は「イギー・ポップ ディスコグラフィ(英語版)」および「ザ・ストゥージズ ディスコグラフィ(英語版)」を参照
ザ・ストゥージズ

1969年 - イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ
(英語版)

1970年 - ファン・ハウス(英語版)

2007年 - ザ・ウィヤードネス(英語版)

イギー・アンド・ザ・ストゥージズ

1973年 - ロー・パワー
(英語版) (旧邦題:『淫力魔人』)

2013年 - レディ・トゥ・ダイ (ザ・ストゥージズのアルバム)(英語版)

イギー・ポップ・アンド・ジェームズ・ウィリアムソン

1977年 -
キル・シティ

イギー・ポップ

1977年 -
イディオット

1977年 - ラスト・フォー・ライフ

1979年 - ニュー・ヴァリューズ

1980年 - ソルジャー

1981年 - パーティー (イギー・ポップのアルバム) (英語版)

1982年 - ゾンビー・バードハウス(英語版)

1986年 - ブラー・ブラー・ブラー(英語版)

1988年 - インスティンクト(英語版)

1990年 - ブリック・バイ・ブリック(英語版)

1993年 - アメリカン・シーザー(英語版)

1996年 - ノーティー・リトル・ドギー(英語版)

1999年 - アヴェニューB (イギー・ポップのアルバム) (英語版)

2001年 - ブチノメセ!(英語版)

2003年 - スカル・リング(英語版)

2009年 - プレリミネール(英語版)

2012年 - アプレ (イギー・ポップのアルバム)(英語版)

2016年 - ポスト・ポップ・ディプレッション(英語版)

2019年 - フリー(イギー・ポップのアルバム)(英語版)

DVD

1991年 - キス・マイ・ブラッド
[120][注 113]

2005年 - ア・パッション・フォー・リビング[121][注 114]

2005年 - ライヴ・アット・アヴェニュー・B[122][注 115]

2005年 - Live San Fran 1981[123][注 116]

2016年 - ポスト・ポップ・ディプレッション:ライヴ・アット・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール[125][注 117]

関連項目

ニューヨーク・パンク

パンク・ロック

トレインスポッティング

来日公演

プロモーションのみの来日
1977年4月(『イディオット』のプロモーション。
デヴィット・ボウイ同伴)1979年7月(『ニュー・ヴァリューズ』のプロモーション。)

1983年[注 118]
6月17日 大阪厚生年金会館6月18日 名古屋市公会堂6月19日・20日 東京・中野サンプラザ6月21日 東京・日本青年館6月22日 東京・ツバキハウス

1987年[注 119]
4月20日 大阪・サンケイホール4月21日・22日 東京・日本青年館

1989年[注 121]
1月23日・24日 東京・中野サンプラザ1月26日 大阪・サンケイホール1月28日 福岡・郵便貯金ホール

1994年[注 122]
1月22日・23日 川崎・クラブチッタ1月24日 名古屋 ・クラブクアトロ1月26日 福岡・クロッシングホール1月27日・28日 大阪・クラブクアトロ1月30日・31日 東京 渋谷ON AIR

1998年[注 123]
7月31日 東京・豊洲ベイサイドスクエア・フジ・ロック・フェスティバル'98

2003年[注 124]
7月26日 新潟・ 苗場スキー場・フジ・ロック・フェスティバル'03

2004年[注 125]
3月19日 大阪・ACTホール・Magic Rock Out Osaka3月20日 東京・幕張メッセ・Magic Rock Out Tokyo3月22日 東京・渋谷AX(単独公演)

2007年[注 126]
7月28日 新潟・苗場スキー場・フジ・ロック・フェスティバル'07
注釈^ 父親はスウェーデン系の家庭に養子縁組されてオスターバーグと名乗った[9]


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