パンクのゴッドファーザーという異名を持ち、ライブにおける過激なパフォーマンス、そしてストゥージス自体は、セックス・ピストルズ、ダムド、スレイヤー、デフ・レパード、ガンズ・アンド・ローゼズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、サウンドガーデン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、ホワイト・ストライプス、マッドハニーなどに深い影響を与え、彼らにこぞってカバーされている。特にホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトは2ndアルバム『ファン・ハウス』を、セックス・ピストルズのジョニー・ロットン、ニルヴァーナのカート・コバーン、元ザ・スミスのモリッシーとジョニー・マー、エコー&ザ・バニーメンのイアン・マッカロクは3rdアルバム『ロー・パワー』をフェイバリットに挙げている。
日本との関係
初来日は『イディオット』のプロモーションで来日した1977年。アルバム・プロデューサーであるデヴィッド・ボウイ同伴での来日だった。この時、写真家の鋤田正義が彼ら2人を原宿のスタジオで撮影。それが後に『ヒーローズ』(ボウイ)と『パーティー』(イギー)のアルバム・ジャケットとなる。
1979年には『ニュー・ヴァリューズ』のプロモーションで再来日。写真家の佐藤ジンとのフォトセッション[119]を行なう。
1983年の初来日公演時に観客としてステージを見ていた日本人女性スチを見初め、その後結婚した[82](1998年(1999年説あり)に離婚)。
1998年のフジロックフェスティバルでは、熱狂した観客100人以上をイギーがステージに上げてしまい、客にマイクを取られるなどパニック状態になったが会場が大盛り上がりになった。
ディスコグラフィ詳細は「イギー・ポップ ディスコグラフィ(英語版