アリスタは『ソルジャー』のレコーディング完了時の1979年10月に、アメリカで前作『ニュー・ヴァリューズ』をリリースすることを決めた[9]。これにより、イギーは『ソルジャー』のレコーディング完了後、すぐに前作のプロモーションのために北米ツアーに出るという奇妙な状況に置かれることになった[10]。
行方をくらませたスティーヴ・ニューはツアーのリハーサルにも顔を出さなかったため[59]にギタリストが足りず、イギーは元ダムドで、当時は新バンド、タンズ・ダー・ユースでキャリアを模索していたブライアン・ジェームズ
様々な混乱[注 67]に見舞われた『ソルジャー』は1980年2月にリリースされた。こちらはアメリカでも同時期に発売されたため、ヨーロッパと北米を中心とした長期のツアーが企画された。
アイヴァン・クラールはニューヨークパンク・シーンの仲間の伝手を辿り、補充メンバーとして元マンプス
『ソルジャー』のヨーロッパツアー終了後、イギーとクラールはニューヨークに滞在して曲を書きため[9]、次作のレコーディングに臨んだ。