イギリス領インド帝国
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デンマーク領インド1620年-1869年
フランス領インド1668年-1954年
ポルトガル領インド
(1505年-1961年)
インド商務院1434年-1833年
ポルトガル東インド会社1628年-1633年
ゴア併合1961年
イギリス領インド
(1612年-1947年)
イギリス東インド会社1612年-1757年
東インド会社統治下のインド1757年-1858年
イギリス領インド帝国1858年-1947年
イギリス統治下のビルマ1824年-1948年
藩王国1721年-1949年
インド・パキスタン分離独立1947年

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イギリス領インド帝国(イギリスりょうインドていこく、英語: British Raj、ヒンディー語:??????? ???)は、1858年イギリスインド亜大陸に成立させた帝国。1877年以降はイギリス王インド皇帝を兼ねる同君連合の形式が取られたが、事実上イギリスの植民地であった。英領インド、英印とも呼ばれる。

その領域は今日のインドパキスタンバングラデシュミャンマーも版図とした。
概要インド帝国の地方行政区画(1909年)

アジアにおいてイギリスは、1796年には現スリランカ併合1814年から1816年グルカ戦争によってネパール保護国にした。また、1824年から3次に及んだイギリス・ビルマ戦争の結果、ビルマ(現・ミャンマー)を奪取し、1886年から1937年までイギリス領インド帝国の版図に組み込んでいた(イギリス領ビルマの独立は1948年)。イギリス領インド帝国はカナダオーストラリアといったイギリス帝国内の自治領とは異なり、名目上は独立国とされた。第一次世界大戦および第二次世界大戦には連合国として参戦し、国際連盟国際連合ともに原加盟国である。

そして1858年、インド大反乱(シパーヒーの乱)の後、イギリスはムガル帝国の君主を廃し、イギリス東インド会社を解散させ、インドをイギリスの直轄植民地とした。そのうえで、本国イギリスにはインド省が、現地には「副王英語: viceroy)」の称号を持つイギリス人総督が置かれ、1877年にはイギリス国王(当時はヴィクトリア女王)がインド皇帝を兼任するようになった。

国内は直轄州と大小552の藩王国にわかれており、軍隊英印軍)も存在した。

1923年、イギリスはネパールとの友好条約でその地位を保護国ではなく独立国として認めた[1]。大戦後、1947年インドパキスタン分離独立し、解体した。

なお、セイロンはイギリス東インド会社マドラス管区に編入されていた時期もあったが、インド帝国が存在していた期間は一貫してイギリス直轄植民地(イギリス領セイロン)であり、インド帝国には属していない。
地方行政区画

20世紀になる頃のインド帝国の直轄領は、州知事あるいは州準知事が統治する8つの州から構成されていた。1905年のベンガル分割令において、ベンガル州は、東ベンガル及びアッサムと西ベンガルの2つに分割されたが、1911年に、東西ベンガルは再統一され、さらに、ビハール州オリッサ州が新設された[2][3]
主要8州

イギリス領インド帝国の州[2]面積 (平方km)人口 (1901年) (百万人)州の最高責任者
ビルマ州(現在のミャンマー)440,0009準知事
ベンガル州 (現在のバングラデシュ西ベンガル州ビハール州ジャールカンド州オリッサ州)390,00075準知事
マドラス州370,00038知事
ボンベイ州320,00019知事
連合州 (現在のウッタル・プラデーシュ州ウッタラーカンド州)280,00048準知事


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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