イギリス海峡はイギリスにとって自然の要塞とも言える主要な防衛線で、北海から大西洋へと続く海峡の封鎖のコントロールと軍の侵入を阻止する役目を持っている。ヨーロッパ側の海峡に面したオランダとベルギーの港が重要視されており、1588年のアルマダの海戦やナポレオン戦争の間のナポレオン・ボナパルトの侵入を防いだ。本土への侵入とロンドン上空の空中戦にまで発展した第二次世界大戦中のナチス・ドイツからの侵略の危機が最も危険な時期だった。
第二次世界大戦「バトル・オブ・ブリテン」も参照
第二次世界大戦中、ヨーロッパの戦いは主に大西洋での戦いに制限された[15]。バトル・オブ・ブリテンの初期は海峡上の艦船・港湾施設への空襲が主で、海峡の横断はツェルベルス作戦を例に見られるようにノルマンディー上陸作戦までは非常に危険だった。海峡の攻防戦は航空機、潜水艦、掃海艇などを駆使しながら徹底的な沿岸戦へと移行した。
イギリス海峡内のチャンネル諸島はドイツによって占領されたイギリス領土の唯一の地域となった(ナチス・ドイツによるチャンネル諸島占領)[注釈 1]。ノルマンディー上陸作戦の成功後にイギリス海軍は島を封鎖するなどしてドイツ軍を圧迫し、5年間の占領期間中の最後の数ヶ月はドイツ占領軍は飢餓と物資欠乏に悩まされた。ドイツ本国の降伏後、1945年5月9日にドイツの諸島占領軍はヨーロッパ本土で降伏した。 2015年7月29日、英仏海峡トンネルのフランス側出口にイギリスへの不法入国を目指した難民約2000人が押し寄せ、トンネル運営会社であるグループ・ユーロトンネルが対応に追われた[16][17]。難民の不法侵入は数週間前からこれまでにも幾度も阻止されており、難民側には死者も出ている[16]。難民はフランスのカレーほか、フランス北部に多く潜伏しておりその後もイギリスへの入国を引き続き試みている[18]。これらの対応のために、イギリスはカレー近郊のターミナル駅周辺保安の強化費用として700万ポンド[20]の追加支援を決定した[19][17]。 カレーにはフランス政府が難民のために簡易水道・仮設トイレ、街灯などを徐々に整備した難民キャンプが存在している[21]。 同年9月7日にはイギリス首相デーヴィッド・キャメロンが当初の難民受け入れに消極的だった姿勢を世論圧力により撤回[22]、2020年までに最大2万人のシリア難民受け入れを行うことを表明、2011年のシリア内戦勃発以降の難民受け入れ数がドイツ・スウェーデンなどと比較して少なかったことに対応した形だが[23]、2015年11月18日にイギリス新聞社タイムズが実施した世論調査結果によれば、2015年11月13日発生のパリ同時多発テロ事件の影響により難民受け入れを求める意見は急速に減少、世論次第で方針転換を迫られる可能性があると報じられた[24]。詳細は「シリア内戦」および「2015年欧州難民危機」を参照 現代のイギリス海峡は政治的に以下の地域に区分される。
ヨーロッパ難民問題
国・領域
イギリス
フランス
主要都市圏
サウス・ウェスト・イングランド
サウス・イースト・イングランド
ブルターニュ地域圏
バス=ノルマンディー地域圏
オート=ノルマンディー地域圏
ノール=パ・ド・カレー地域圏