イギリス海峡
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フランスでの「ラ・マンシュ海峡」という名称は17世紀以来継続して使用されている[6]。名前の由来は英仏海峡のスリーブ(英語: sleeve, フランス語: manche)からであると言われているが、スコットランドではケルト語で「海峡」を意味する「ミンチ海峡」が語源であると主張されている[9]平凡社世界大百科事典によれば、西端から東端に至る過程で徐々に狭まる海峡の形状を、フランス語で「袖」の意味を表す「ラ・マンシュ」に喩えたのが由来であると説明されている[4]
地理
範囲イギリス海峡の地図

イギリス海峡は東端をドーバー海峡、西端をコーンウォール半島ランズ・エンド岬 - アシャント岬(英語版)間までとする広い範囲の海峡である。英仏海峡間ではドーバー海峡が最も狭くなっている[5]。最も広い区間は ライム湾(英語版)とサン・マロ湾の間だが、この区間は比較的深度が浅く、最も深い区間で平均深度約120メートル、そこからドーバー海峡とカレーの間までに約45メートルまで隆起している。北海に隣接したブロード・フォーティーンス海域(英語版)では26メートルとなるが、ガーンジー島の北西30キロメートル地点にあるイギリス海峡の最深地点であるハーズ・ディープ(英語版)では最深部で180メートル(19マイル)に達する[10]
海峡の形成

海峡の形成は比較的新しい時代のもので、最終氷期末期の約1万年前までは、陸地であった。その後、45 - 18万年前に氷床融解により北海南部に淡水湖が形成されたが、これがウィールド地方 - アルトリア丘陵方面で発生した壊滅的な大規模洪水によって大西洋と連結され、海峡が形成されたと考えられている。1秒辺りの最大放出量は100万立方メートルを超え、洪水は数ヶ月続いたと考えられる。洪水に至った原因については特定されていないが、淡水湖の水圧が地震によって圧縮強化されて引き起こされたと推定されている。ヨーロッパ大陸とイギリスを繋げていた地峡を破壊したと同時に、洪水は巨大な岩盤で形成された谷を英仏海峡の下側に刻み、流線型になった島と壊滅的な洪水の爪痕を残した[11]
河川

ここではイギリス海峡に注ぐ河川を列挙する。
 
フランス
セーヌ川 - 全長780キロメートル[12]ソンム川 - 全長245キロメートル[13]オルヌ川 - 全長152キロメートル[14]
チャンネル諸島

この節の加筆が望まれています。

歴史「イングランドの歴史」および「フランスの歴史」も参照

イギリス海峡はイギリスにとって自然の要塞とも言える主要な防衛線で、北海から大西洋へと続く海峡の封鎖のコントロールと軍の侵入を阻止する役目を持っている。ヨーロッパ側の海峡に面したオランダベルギーの港が重要視されており、1588年アルマダの海戦ナポレオン戦争の間のナポレオン・ボナパルトの侵入を防いだ。本土への侵入とロンドン上空の空中戦にまで発展した第二次世界大戦中のナチス・ドイツからの侵略の危機が最も危険な時期だった。
第二次世界大戦「バトル・オブ・ブリテン」も参照

第二次世界大戦中、ヨーロッパの戦いは主に大西洋での戦いに制限された[15]バトル・オブ・ブリテンの初期は海峡上の艦船・港湾施設への空襲が主で、海峡の横断はツェルベルス作戦を例に見られるようにノルマンディー上陸作戦までは非常に危険だった。海峡の攻防戦は航空機潜水艦掃海艇などを駆使しながら徹底的な沿岸戦へと移行した。

イギリス海峡内のチャンネル諸島はドイツによって占領されたイギリス領土の唯一の地域となった(ナチス・ドイツによるチャンネル諸島占領[注釈 1]。ノルマンディー上陸作戦の成功後にイギリス海軍は島を封鎖するなどしてドイツ軍を圧迫し、5年間の占領期間中の最後の数ヶ月はドイツ占領軍は飢餓と物資欠乏に悩まされた。ドイツ本国の降伏後、1945年5月9日にドイツの諸島占領軍はヨーロッパ本土で降伏した。
ヨーロッパ難民問題

2015年7月29日、英仏海峡トンネルのフランス側出口にイギリスへの不法入国を目指した難民約2000人が押し寄せ、トンネル運営会社であるグループ・ユーロトンネルが対応に追われた[16][17]。難民の不法侵入は数週間前からこれまでにも幾度も阻止されており、難民側には死者も出ている[16]。難民はフランスのカレーほか、フランス北部に多く潜伏しておりその後もイギリスへの入国を引き続き試みている[18]。これらの対応のために、イギリスはカレー近郊のターミナル駅周辺保安の強化費用として700万ポンド[20]の追加支援を決定した[19][17]

カレーにはフランス政府が難民のために簡易水道・仮設トイレ、街灯などを徐々に整備した難民キャンプが存在している[21]

同年9月7日にはイギリス首相デーヴィッド・キャメロンが当初の難民受け入れに消極的だった姿勢を世論圧力により撤回[22]、2020年までに最大2万人のシリア難民受け入れを行うことを表明、2011年のシリア内戦勃発以降の難民受け入れ数がドイツ・スウェーデンなどと比較して少なかったことに対応した形だが[23]、2015年11月18日にイギリス新聞社タイムズが実施した世論調査結果によれば、2015年11月13日発生のパリ同時多発テロ事件の影響により難民受け入れを求める意見は急速に減少、世論次第で方針転換を迫られる可能性があると報じられた[24]。詳細は「シリア内戦」および「2015年欧州難民危機」を参照
国・領域

現代のイギリス海峡は政治的に以下の地域に区分される。

イギリス

フランス

主要都市圏

サウス・ウェスト・イングランド

サウス・イースト・イングランド

ブルターニュ地域圏

バス=ノルマンディー地域圏


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