イギリス文学
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王政復古期には詩人のジョン・ドライデンが活躍した。
新古典主義と小説の興隆(18世紀)ダニエル・デフォーロビンソン・クルーソー』、フライデー救出の場面

英語による小説が盛んになったのは1719年ダニエル・デフォー作『ロビンソン・クルーソー』以降である。ジョナサン・スウィフトは『ガリヴァー旅行記』(1726年)を書き、ヘンリー・フィールディングが『トム・ジョウンズ』(1748年)を発表した。詩作ではアレキサンダー・ポープが傑作を残した。18世紀の後半には、文学者のサミュエル・ジョンソンジェイムズ・ボズウェルなどが活躍した。18世紀はまた、演劇の再興した時代でもある。ジョン・ゲイなどが活躍した。この時代の終わりごろにはゴシック小説が流行しはじめた。
ロマン主義の時代(19世紀前期)

イギリスのロマン主義は、ウィリアム・ブレイクの詩をその萌芽とし、ウィリアム・ワーズワースサミュエル・テイラー・コールリッジの共著である詩集『抒情民謡集(Lyrical Ballads)』(1798年)をもって本格的に始まる。ワーズワースとコールリッジはフランス革命に対し憤慨した後、保守派に回ったが、若き詩人たちであるジョージ・ゴードン・バイロンパーシー・ビッシュ・シェリージョン・キーツイタリアに移り、理想主義を掲げた。

19世紀には小説が飛躍的な発展を見せた。特に初期にはウォルター・スコットが、歴史小説で圧倒的な人気を誇り、その死をもってロマン主義は終結する。ジェーン・オースティンは、風刺をこめて女性の地位や人生を描き、現在でも評価が高い。
ヴィクトリア朝時代(19世紀中期・後期)ルイス・キャロル不思議の国のアリス』(1869)。ジョン・テニエルによるイラストレーションは作品の不可分な一部となっている。

ヴィクトリア朝時代になり、国民と長らく遠ざかっていた宮廷が親密なものとなった。これに順応したのは、詩人のアルフレッド・テニスンであった。テニスンは『アーサー王伝説』に取材した『国王牧歌』で、当時の倫理観をもとに描ききった。この時代の他の詩人には、ロバート・ブラウニングダンテ・ゲイブリエル・ロセッティクリスティナ・ロセッティマシュー・アーノルドなどがいる。

だがこうした国家の自己満足に反抗したのが、ブロンテ姉妹や、トーマス・カーライルらであった。ブロンテ姉妹のうち、長女シャーロットは『ジェーン・エア』を、次女エミリーは『嵐が丘』を発表し、当時の社会を打破しようと試みた。チャールズ・ディケンズは『オリバー・ツイスト』『デイヴィッド・コパフィールド』、ウィリアム・メイクピース・サッカレーは『虚栄の市』を発表。ディケンズはこの時代の代表的作家で、後に国民作家と呼ばれるようになった。19世紀の後半にはジョージ・エリオットトーマス・ハーディの小説が現実の暗さを描いた。

この時代の小説は、19世紀中盤の教育制度の発達と共に、挿絵を含むものが多くなった。前述のディケンズはもちろんのこと、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』などは、すでに挿絵が作品の一部である例といえるだろう。また雑誌に月刊で分載するのがこの時期の主流であった。

19世紀的な家庭観、児童観は、さらに児童文学の発展を促した。


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