国家の情報機関であるため詳細は不明な点が多いが、本部の下に「地域課」と「連絡課」が存在し、地域課で現地情報に通じた人材を育成保有して情報収集等を行い、連絡課が本部との連絡役となる。人員は2,500名で約3億ポンドの予算だとされる。
組織としては外務・英連邦・開発省の管轄であるが[注 1]、外務大臣だけでなく首相と内閣府内の合同情報委員会(JIC)へも報告が行なわれ、これらの指揮を受ける関係にある[5]。
第15代長官を務めたジョン・サワーズは公式見解として「任務は指導者に情報を提供することで、軍事工作はしない」「(007のような)殺しのライセンスは無いし、欲しくもない」と語っている[3]。 1909年3月に首相ハーバート・ヘンリー・アスキスは国家特務機関を再編することを帝国防衛委員会
歴史
第二次世界大戦中の1940年にMI6によって設立されたイギリス安全保障調整局は、対ドイツ諜報活動、イギリス連邦諸国におけるイギリス支援のための世論形成など、様々な工作を行ったとされる。長官はウィリアム・スティーヴンスンで、イアン・フレミングはその部下であった[8]。
1942年11月19日に時の部長スチュワート・メンジーズの主導でドイツの原子爆弾開発を阻止すべくフレッシュマン作戦を敢行し、失敗に終わった[9]。
1995年に本部がランベスから現在のヴォクソールに移動した。新庁舎は警備体制が強化されており、盗聴・爆発物に対する防御が施されている。テリー・ファレル設計による、古代メソポタミアのジッグラトを想起させる外観は「テムズ川のバビロン」「レゴランド」「チャウシェスク・タワー」とも呼ばれている。2000年9月20日に真のIRA[10]が対戦車ロケット弾をビルの8階に撃ち込んだが、損害は軽微であった。
2006年4月27日に国際テロの高まりを受けた人員増強の必要性から多様な人材を確保するため、1909年の創設以来初めて新聞広告で工作員の募集を開始し、また独自のウェブサイトを立ち上げた。近年ではMI6・MI5などの機関が公式ウェブサイトで新人採用まで行っている。2005年の応募資格は以下の通りである。
父母どちらかがイギリス人である。
21歳以上で過去10年間に5年以上イギリスに住んでいたイギリス国民である。
2013年にフランスがマリ共和国内で実施した軍事作戦(セルヴァル作戦)を支援した[11]。 SISに協力する機関には国防省に属する国防情報参謀部(DIS)・内務省の下に置かれる保安局(SS、MI5)がある。SISは国内組織としては、軍事情報を主に扱うDISや国内防諜情報を主に扱うSS(MI5)と協力し[5]、国外でも西側各国の情報機関と協力して任務を実行している。 またこれら2組織や、同じ外務省に属する政府通信本部(GCHQ)・内務省の下に置かれる国家犯罪対策庁(National Criminal Agency、NCA)と共にJICを構成している。職員の出向などの人事交流も行われている[12]。秘密情報部が運営すると考えられる乱数放送にはリンカーンシャー・ポーチャーとチェリー・ライプがある。 全員がナイトに叙され、サーの称号を受けている。また、#歴史にある通り、初代のスミス=カミングに倣い、決裁文書には本名と関係なく「C」の一文字だけを署名に使う(第10代長官カーウェンが偶然に一致していた)。 代名前綴り就任退任
関係機関
歴代長官