大英帝国(だいえいていこく、英語: British Empire)は、イギリスとその植民地・海外領土などの総称である。イギリス帝国(イギリスていこく)、グレートブリテン帝国ともいい[1][2]、「グレートブリテン」(大英)という地名は「リトルブリテン」との区別に由来する[3]。「グレートブリテン王国」も参照
帝国は時代ごとの性質により、以下のように区分される。
アイルランドや北アメリカ大陸に入植し、北米植民地およびカリブ海植民地との貿易を中心にした時代。
アメリカ独立からアジア・アフリカに転じて最盛期を築いた19世紀半ばまでの自由貿易時代。
自由貿易を維持しつつもプロイセン王国(後のドイツ帝国)など後発工業国の追い上げを受け植民地拡大を行った帝国主義時代。
20世紀に入って各植民地が独自の外交権限を得たウェストミンスター憲章以後の時代。
一般に大英帝国と呼ばれるのは、特に3と4の時代である。1と2を「第1帝国」、3と4を「第2帝国」と呼び、後者の繁栄を象徴するものとしてはイースタン・テレグラフ・カンパニー(大東電信会社。後のC&W)の海底ケーブルが挙げられる。また大英帝国の植民地支配が世界中に広がったことで英語が世界の多くの地域で日常語、公用語として用いられるようになった。その結果、英語は事実上の国際語、世界共通語として用いられるようになった[4]。
1898年当時ハリファックスからネルソンまで世界横断したC&Wの海底ケーブルは、鉱産資源が産出するバルパライソ - ブエノスアイレス - モンテビデオ間、ケープタウン - ダーバン間、ムンバイ - チェンナイ間、ダーウィン - アデレード - シドニー間の4区間だけ陸上を通った[5]。これらの鉱産資源は大英帝国の手中にあり、今日も英米系大企業が利権を維持している。
大英帝国は、その全盛期には全世界の陸地と人口の4分の1を版図に収め、世界史上最大の領土面積を誇った帝国である[6]。当時唯一の超大国と呼べる地位にあり、第一次世界大戦終結から第二次世界大戦までの間は、アメリカ合衆国と同等の二大超大国であった。第二次世界大戦後、イギリスは各植民地を独立させることでイギリス連邦を発足させ、超大国の地位から離れた。
イギリス帝国の終期には諸説あるが、早いものでは第一次世界大戦後のアメリカ合衆国の台頭や、ウェストミンスター憲章制定を以て終わりとする説、遅いものでは第二次世界大戦後の1947年に、最大の植民地であるイギリス領インド帝国がインドとパキスタンとして独立し、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドのアングロ・サクソン移民地域も主権国家として独立した時期とする説などがある。
イギリス最後の植民地は香港であり[注釈 1]、1997年の香港返還をもって一般的にイギリスではイギリス帝国の時代は終焉したとされている[7][8][9][10][11]。 "empire" あるいは "imperial" という言葉はさらに古くから使われてきたが、一般にイギリス帝国という場合、始まりは16世紀あるいは17世紀とされる。その正否は問わないことにしても、国外への拡張という事実のみに着目すると、1585年のロアノーク島への植民が、また、実際に成功し後世への連続性を持つという点からすると、1607年のジェームズタウン建設が、それぞれイギリス帝国の開始点となる。いずれにせよ、イギリス帝国が帝国としての実体を備えるには北米植民地とカリブ海植民地の設立が一段落する17世紀半ばを待たねばならず、イギリス帝国が「イングランドの帝国」でなくなるには1707年の合同を待たねばならない。 先述の通り、17世紀から18世紀にかけての帝国はイギリス第1帝国あるいは旧帝国とも呼ばれ、19世紀以降の帝国、特に19世紀半ば以降に完成するイギリス第2帝国と比べると、 これらによる紐帯の3点を特徴としている。
概要
北アメリカおよびカリブ海植民地中心
重商主義政策による保護貿易
およびプロテスタンティズム
航海条例(航海法)や特許会社の独占など、重商主義的政策による保護貿易は、脆弱であったイギリス経済と植民地経済を保護すると同時に結びつける役割を果たした。また、名誉革命以降のイギリスは、国内外のカトリック勢力を潜在敵と見なしており、当時の帝国はフランス、スペインといったカトリックの大国を仮想敵国とした「プロテスタントの帝国」と考えられていた。