イギリスグランプリ
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1973年 - レース2周目のホームストレートでジョディー・シェクターのマシンがスピン。コース上で動けなくなったマシンに8台のマシンが次々とクラッシュし、F1世界選手権では初めて赤旗でレースが中断されることとなった。この事故ではアンドレア・デ・アダミッチが脚の骨を折ってF1キャリアを断たれた。

1976年 - スタート直後の多重事故で赤旗再スタートとなり、中断中にマシンを修理したジェームス・ハントが優勝。しかし、フェラーリが異議を唱え、2ヵ月後にハントは失格処分となった[8]

1979年 - ウィリアムズクレイ・レガツォーニが優勝し、ウィリアムズが初優勝を達成。

1987年 - ホンダエンジンを使用するウィリアムズとロータスが1位から4位までを独占した。優勝したのはウィリアムズのナイジェル・マンセル、2位は同じくウィリアムズのネルソン・ピケ、3位はロータスのアイルトン・セナ、4位がロータスの中嶋悟であった。

1992年 - 圧倒的な戦闘力を誇るウィリアムズ・ルノーを駆り、ドライバーズランキングで首位を独走していたマンセルの凱旋レースというにふさわしかった。金曜日のフリー走行からの全てのセッションでマンセルがトップタイムを記録した。決勝レースでは全周回で首位を譲らず、2位のリカルド・パトレーゼに約40秒の差をつけて優勝。ファステストラップも記録しグランドスラムを達成した。

1994年 - ウィリアムズのデイモン・ヒルが地元優勝。ベネトンミハエル・シューマッハ黒旗無視で失格となり、さらに2戦出場停止を命じられた。

1995年 - ジョニー・ハーバートがF1初勝利。

1999年 - フェラーリのシューマッハがブレーキトラブルでタイヤウォールに激突。右足を骨折し欠場を余儀なくされた。

2003年 - 決勝レース中、アイルランド出身の聖職者ニール・ホランが宗教的なメッセージが書かれたプラカードを掲げてコースに乱入。逮捕され禁固2か月の有罪判決を受けた。
詳細は「ニール・ホラン#F1イギリスGPに乱入」および「2003年イギリスグランプリ#コース侵入」を参照

2013年 - 土曜フリー走行でマクラーレンセルジオ・ペレス、また決勝レースではメルセデスのルイス・ハミルトン、フェラーリのフェリペ・マッサトロ・ロッソジャン=エリック・ベルニュ、そしてペレスの左後輪タイヤが相次いでバーストを起こす異常事態。特にベルニュがバーストした際には直後にセーフティーカーまで入った[9][10]。これを受けてタイヤを独占供給しているピレリは原因の徹底調査を行い、タイヤを左右逆に付けたり、空気圧を低めにするなどの不適切な使用方法やサーキットの縁石が原因であると結論づけた[11]。しかし一方でピレリが国際自動車連盟(FIA)や各チームに無断でタイヤの構造変更を行った、との報道もされている[12]

2017年 - ハミルトンがクラーク以来のイギリスGP4連勝をグランドスラムで達成。また、イギリスGPにおける通算勝利数もクラークとアラン・プロストに並んだ[13]

2019年 - ハミルトンがチームメイトのバルテリ・ボッタスに勝ち、イギリスGP単独トップとなる通算6勝目を達成。

2020年 - ハミルトンが最終ラップで左フロントタイヤがパンクするアクシデントに見舞われ3輪走行を強いられたが、その状態のままリードを守りきって優勝した[14]

2021年 - F1史上初のスプリントレース形式による予選はマックス・フェルスタッペンが制してポールポジションを獲得するが[15]、決勝は1周目でハミルトンと接触してコース外に押し出されてタイヤバリアにクラッシュ、リタイアに終わった。このアクシデントにより赤旗が出されてレースは中断。ハミルトンはレース再開後に10秒のタイムペナルティが科せられたが、先述のアクシデントに乗じてトップに立ったシャルル・ルクレールをレース終盤にパスして逆転優勝を果たした[16]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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