単純小選挙区制が採用されているイギリスでは通常、二大政党のいずれか一方が単独で過半数の議席を獲得するが、稀にどの政党も単独過半数の議席を獲得できない「ハング・パーラメント」と呼ばれる状態になることがあり、こうした場合には二大政党のいずれかが少数政党と連立政権を組むか、もしくは少数与党政権となる。また、ハング・パーラメントとは異なるものの、世界恐慌時や戦時体制下などにおいては挙国一致内閣が組まれた例がある。
第二次世界大戦後のイギリスでは、1974年2月と2010年の総選挙においてハング・パーラメントが発生している。1974年2月の際は労働党の少数与党政権(第3次ウィルソン内閣)となって不安定な政権運営が続き、8ヶ月後の10月に再び解散・総選挙が行われた。2010年の際には、保守党と自由民主党による連立政権(第1次キャメロン内閣)が組まれた。 内閣において首相に万が一のことがあった際の正式な職務代行者というものは見当たらず、内閣執務提要にもルールは設けられていない[18]。 イギリスにおける行政の最高権は名目上、国王およびその諮問機関である枢密院が持っていることになっているが、「国王は君臨すれども統治せず」の原則により、国王の政治的権力は実際には行使されることが無い。形式上は現在もなお内閣よりも上位に位置する枢密院も、議会権力の強化とともに形骸化し、内閣が議会の信任によって成立し議会に対して責任を負う議院内閣制の仕組みが確立していった。 そのため現在では、イギリスの憲法を構成するとされているマグナ・カルタを始めとする成文法典および慣習法(不文憲法)に基づき、首相を中心とする内閣が行政の実権を握っている。首相は、閣僚の任免権・庶民院の解散権・宣戦布告などの国王大権の行使を、国王に代わって実質的に決定する。原則として国王大権は首相の助言なくして行使できない[19]。議会における国王演説も、内閣があらかじめ用意した原稿をそのまま読み上げるだけである。 下院は内閣に対して不信任決議権を持つ[20]。下院において不信任案が成立または信任案が不成立となった場合、あるいはそれに匹敵する重要法案の採決で政府が敗北した場合には、憲法習律上内閣は総辞職するか庶民院の解散総選挙を国王に助言しなければならない[20]。英国首相は、内閣不信任が成立していなくとも君主への助言によって任意に庶民院を解散できる(1918年以降には首相は解散助言にあたって内閣に諮る必要もないとの憲法慣習ができた)[17]。 2011年から2022年3月までは、2011年に可決された議会任期固定法により、女王の議会解散に関する大権が削除されたため、英国首相は任意に下院解散の助言を行うことができなくなっていた(5年の任期切れ前に下院解散ができるのは、下院が所属議員3分の2以上の賛成で解散を自主的に決議するか、内閣不信任案が決議された時に限られた)[21]。2022年3月に議会解散・召集法が成立することで議会任期固定法は廃止され、解散に関わる国王大権は「議会任期固定法の制定がなかったように」復活し、議会解散に関係する手続きは従来通りとなっている。 一般にイギリス首相官邸とされる「ダウニング街10番地」は、正式には「第一大蔵卿官邸」であるが、これもウォルポール以来の慣習である。 この建物はもともと国王ジョージ2世がウォルポール個人に下賜したものだったのが、ウォルポールはこれを公的な贈与として受け入れ、後任の第一大蔵卿に引き渡した。その結果第一大蔵卿官邸として使われることになったのである[22]。
職務代行者
首相及び内閣の権限詳細は「:en:Powers of the prime minister of the United Kingdom」を参照
首相官邸イギリスの首相官邸
「ダウニング街10番地」
(10 Downing Street)
ダウニング街10番地
チェッカーズイギリス首相別邸
「チェッカーズ
首相はダウニング街10番地以外にも、通称「チェッカーズ(英語版)」(バッキンガムシャー・エルズボロ村(英語版)所在)と呼ばれる別邸を与えられる。
1917年、当時このカントリーハウスを所有していた政治家サー・アーサー・リー(英語版)が、「首相の別邸として使うこと」を条件に国に寄付した。リーが寄付した理由は、かつては邸宅持ちの貴族が首相を務めて社交・会談の場を確保していたが、これからの首相はそうもいくまいという事情による[23]。第二次世界大戦中、ウィンストン・チャーチルは、ロンドン空襲を避けるためこの別邸でも会議を開いた。
歴代首相
歴代首相の一覧詳細は「イギリスの首相の一覧」を参照