イギリスの議会
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

庶民院[2]院内勢力国王陛下の政府  保守党 (365)

国王陛下の野党  労働党 (202)

その他の野党  スコットランド国民党 (47)  自由民主党 (11)  民主統一党 (8)  プライド・カムリ (4)  社会民主労働党 (2)  北アイルランド同盟党 (1)  緑の党 (1)  無所属 (1)

棄権  シン・フェイン党 (7)

議長  議長 (1)
任期不定(貴族院)
5年(庶民院)
選挙
貴族院[1]選挙制度非公選
庶民院[2]選挙制度単純小選挙区制
前回総選挙2019年12月12日
次回総選挙2024年
議事堂

イギリスロンドン
ウェストミンスター宮殿
ウェブサイト
www.parliament.uk
脚注
^ “Lords membership - MPs and Lords”. UK Parliament. 2020年4月8日閲覧。
^ “State of the parties - MPs and Lords”. UK Parliament. 2019年12月28日閲覧。

グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこくぎかい、英語: Parliament of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)は、イギリス立法府であり、本国及び海外領土の最高機関である[1]神の下の議会における王はチャールズ国王であり、その座所はグレーター・ロンドンに位置するシティ・オブ・ウェストミンスターウェストミンスター宮殿にある。王室属領についてはその権限は原則として及ばない。
概要

議会は両院制で、上院貴族院)と下院庶民院)から構成されている[2]。君主は立法府の3つ目の構成要素を形成する(議会における国王[3][4]。貴族院は2つの異なるタイプの議員を含んでいる。すなわち、英国国教会で最も上級の聖職貴族で構成される聖職上院議員 (Lords Spiritual) 、及び首相の助言に基づいて君主により任命される連合王国貴族一代貴族とで構成される世俗上院議員 (Lords Temporal) である。[5]2009年10月に連合王国最高裁判所が創設される以前は、貴族院は常任上訴貴族を通して司法機能(英語版)を備えていた。

庶民院は、少なくとも5年ごとに行われる選挙に伴い、民主的に議員が選出される議院である[6]。両院はそれぞれ、ロンドンのウェストミンスター宮殿(議事堂)内にある、互いに離れた議院に置かれる。憲法上の慣習により、首相を含む全ての大臣(ministers)は、庶民院議員であるか、 – あまり一般的ではないが、貴族院議員であるか – であり、これらの大臣は、それにより立法府の各部門に対して説明責任がある。

合同法イングランド議会 (Parliament of England) とスコットランド議会 (Parliament of Scotland) を通過したことにより合同条約 (Treaty of Union) が批准され、1707年にグレートブリテン議会 (Parliament of Great Britain) が形成された。19世紀の初めには、グレートブリテン議会とアイルランド議会により合同法が承認されたことで、議会はさらに拡大した。これにより、後者は廃止され、前者に100名のアイルランド議会議員と32名の貴族議員が加わり、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会が創設された。アイルランド自由国が分離独立した5年後に、Royal and Parliamentary Titles Act 1927により、正式に議会の名称が“グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会”に修正された[7]

英国議会とその諸機関は、世界中の多くの民主主義諸国の模範となっており、「議会の母」または「諸議会の母」(the mother of parliaments)と呼ばれるまでに至っている[8]。しかしながら、ジョン・ブライトは – 彼こそがこの形容語句を作ったのだが – 議会よりもむしろ国(イングランド)に関して、その語句を使用した[9]

理論上、イギリスの最高の立法権限は議会における国王に付与されている。しかし、国王は首相の助言に基づいて行動する上、貴族院の権限は縮小されているので、事実上の権限は庶民院に付与される[10]

ロンドンテムズ川のほとりに建つウェストミンスター宮殿(時計塔の通称「ビッグ・ベン」が代名詞として使用される)が議事堂である。

歴史の項で言及されるとおり、現在のイギリス議会はイングランド議会を実質的な祖としているが、歴史上イギリスのイングランド以外の地域(後に独立したアイルランドも含む)には、個別の議会が存在していた(これらの議会は、その後「地方議会」として復活しているので、「存在している」ということもできる)。このため、他と区別して特にウェストミンスターに存在する議会に言及する場合、この議会をウェストミンスター議会と呼ぶことがある[11]
歴史
連合王国議会の創設まで

中世イギリス諸島の3王国、イングランド王国スコットランド王国アイルランド王国は、それぞれの議会(イングランド議会 (Parliament of England) 、スコットランド議会 (Parliament of Scotland) 、アイルランド議会)を持っていた。1707年合同法により、イングランドとスコットランドが合同し、グレートブリテン議会(The Parliament of Great Britain)が成立する。次いで、1800年合同法により、アイルランドを含む連合王国議会(The Parliament of the United Kingdom)が成立する。
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会1833年の庶民院を描いた絵

グレートブリテンおよびアイルランド連合王国は、合同法の下、グレートブリテン王国アイルランド王国の併合により、1801年に建国された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:75 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef