イギリスの警察
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このことから、ロンドンのボウ・ストリート(英語: Bow Street)の治安判事法廷で判事の任にあったヘンリー・フィールディングは、従来の無給警察、夜警部隊のかわりに捜査に精通したものの必要を認め[3]、1750年[3]、シーフ・テイカー[3][4][注 1]から6名を選任してボウ・ストリート巡察隊(英語: Bow Street Runners)を組織した。この隊は極めて能率的に活動し、地区の犯罪を大幅に減少させたことから、全国的に有名になり、現在では英国の近代警察の萌芽と評されている。政府もその有効性を認め、1797年には大尉を指揮官とする68名のボウストリート徒歩警邏隊、1798年にはテムズ川警邏のための水上警察 (Marine Police Force) を設置した。水上警察の設置に貢献したパトリック・カフーン (Patrick Colquhoun) 治安判事は[5][注 2]、更に進めて、単一の首都警察隊の設置を提唱したが、同時期のナポレオン・ボナパルトフランス第一帝政における秘密警察体制が連想されたためもあり、実現しなかった[6]。また1811年のラトクリフ街道殺人事件を契機として、1812年にはリチャード・ライダー(英語版)内務大臣によって警察制度の改革を企図した特別委員会が設置されたが、これも反対を受けて挫折した[7]

しかし当時、英仏戦争終了に伴う戦後の停滞や労働紛争の激化を受けて、急進派戦争(英語版)に代表されるような騒擾・騒乱事件が多発し、警備警察の重大問題となりつつあった。大部分のコンスタブルには暴動鎮圧を行うだけの能力はなく、治安判事は、暴動を放置するか、あるいは(ピータールーの虐殺に見られるような)軍の治安出動による多数の犠牲者を容認するかという深刻な二者択一を迫られることになり、新たな治安対策が急務となった。この情勢を受けて、1822年に内務大臣に就任したロバート・ピールは首都警察の創設を提唱し、一度は挫折したものの、説得工作を進めるとともに法案自体も漸進的に改訂し、1829年7月、ついに首都警察法(英語版)が成立し、ロンドン警視庁(MPS)が設置された。警視庁は、ロンドンで行われた多くのデモ・暴動を無血のうちに終了させ、国民に成功を印象づけた[8]

また地方部でも、1835年都市団体法(英語版)によって警察機構の整備が着手され[注 3]、1856年県および市警察法(英語版)によって、イングランドウェールズの全域に自治体警察が設置されることとなった。しかしこれによって誕生した200以上の独立した自治体警察のあいだでは、人事管理や業務効率には実質的にかなりの格差が生じていた。状況是正のため、政府は小警察機関の統廃合を志向したものの、地域住民からの反発が根強かったために遅々として進まず、第二次世界大戦を受けた1942年非常時権限法(英語版)、戦後の1946年警察法(英語版)によってやっと大規模統廃合がなされた。その後も、1966年の全国的警察統合計画、また1974年の地方自治体再編成に伴う再編成が行われ、イングランド・ウェールズの警察は43組織に減少した。またスコットランドでは、同様の再編成が行われたのち[10]、2012年警察・消防再編法(英語版)に基づき、2013年4月より、スコットランド警察(英語版)として一本化された[11]
組織

上記のとおり、古来より地域の秩序・平和を維持する責任は地域住民各々が負うべきであるという自治の意識が強く、組織的な警察機構には反発が強かった[12]。このため、現代に至るも、中央統制をできるだけ排して地方分権の理念に則った自治体警察が原則となっているが、社会情勢の変化に伴って、これらの伝統理念を尊重しつつも警察活動の統一化・規模の拡大が志向されている[13]
内務省詳細は「内務省 (イギリス)」を参照

内務省は種々の国内問題を取り扱うが、警察業務については、警察制度の企画立案のほか、国の公安に係る事案についての警察運営、警察活動の基盤である各種警察技術、警察行政に関する調整等を行う。


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