カレタでは5分間の揺れが感じられ、アリカの南側50km付近からコビハ南部までの範囲でメルカリ震度階級でVIII 以上の揺れとなった。
この地震はナスカプレートと南アメリカプレートとの収束型境界の沈み込み帯で発生し、震源域では全長約420km[4] - 450km[5]に亘って断層破壊が発生したと推定された。
この時期、イキケはまだペルー領土であり、その南の太平洋沿いはボリビア領アントファガスタ県であり、チリの北端はさらに南にあった。チリとボリビアの間ではアタカマ国境紛争があり、1874年の条約で1877年に南緯24度線に国境線が引かれ、その北がボリビア、南がチリとされた。この条約でボリビアはチリの企業が硝石採掘を行う場合、税金を課さないとされた。
しかし、イキケ地震による被害の大きかったボリビア領アントファガスタ県では1878年にチリの採掘会社に対する課税を行った。チリ企業がこれを拒否するとボリビアは硝石の輸出を禁止し紛争に発展、太平洋戦争が勃発した。この結果、チリは大きく領土を北に伸ばし、ペルー南部の一部とボリビア太平洋岸のすべてがチリに併合され、両国に大きな政治的動揺を起こした。
津波で18m、トコピアで24m、カレタで18mなどとなり甚大な被害をもたらした。
さらに太平洋全体に波及、ハワイ島のヒロに到達し5m、マウイ島のカフルイで6.6m、ニュージーランドのウェリントンで1.5m、オーストラリアのシドニーで0.6mの高さとなった。
日本にも到達し、函館2.4m、釜石3m、東京湾0.7mで函館と三陸海岸で被害があり、房総半島では死者も出た[6]。
マグニチュードはM 8.3[2] - 9[7]と推定されるが観測網が未整備の時代の歴史地震であり、また地震モーメントは 5 ×1022 N・m[5](Mw 9.1)、あるいはMw 9.0[8]と見積もられている。津波マグニチュードはMt 9.0と推定されている[9]。
参考文献^ ⇒NOAA アメリカ海洋大気庁(NOAA) Earthquake Data and Information
^ a b USGS USGS Historic Earthquakes Chile 1877 May 10 00:59 UTC Magnitude 8.3
^ ⇒宇津徳治 世界の被害地震の表(古代?現代)
^ Comte, D.; Pardo M. (1991): Reappraisal of Great Historical Earthquakes in the Northern Chile and Southern Peru Seismic Gaps. Natural Hazards 4: 23?44.
^ a b ⇒Okal(2006) (PDF) Okal, E.A.; Borrero J.C. and Synolakis C.E. (2006): Evaluation of Tsunami Risk from Regional Earthquakes at Pisco, Peru. Bulletin of the Seismological Society of America 96 (5): 1634?1648.
^ 渡辺偉夫 『日本被害津波総覧 第2版』 東京大学出版会、1998年
^ ⇒Delouis(2009) (PDF) Delouis, B.; Pardo M., Legrand D. & Monfret T. (2009): The Mw 7.7 Tocopilla Earthquake of 14 November 2007 at the Southern Edge of the Northern Chile Seismic Gap: Rupture in the Deep Part of the Coupled Plate Interface. Bulletin of the Seismological Society of America 99 (1): 87?94.
^ ⇒DEFINING TSUNAMI SOURCES (PDF) Review of Tsunami Hazard and Risk in New Zealand. Institute of Geological & Nuclear Sciences Limited
^ 首藤伸夫、越村俊一、佐竹健治、今村文彦、松冨英夫 『津波の事典』 朝倉書店、2007年
関連項目
地震の年表