イオニア
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リュディア王クロイソスを打ち負かしたキュロス2世が引き続きイオニアを支配したのである。他のアジアのギリシア人都市とともに、イオニア地方はペルシアの属領となってしまった。首都から遠いところにあったので、ある程度の自治は許されたが、統治する僭主は全員ペルシアの手下だった。200年頃のミレトスの市場とその周辺を再現した1/300のモデル。1968年、H. Schleif&K. Stephanowitz作。

そうした僭主の一人、ミレトスのヒスティアイオス(とその婿アリスタゴラス)の扇動で、紀元前500年頃、イオニア諸都市はペルシアに対してイオニアの反乱を起こした。まず、アテナイとエレトリアに応援を求め、サルディスに侵攻し、町を焼き払った。この事件がペルシア戦争の引き金となった。しかし、ラデ沖の戦いでイオニア艦隊は敗北。ミレトスも長期の包囲攻撃の末、陥落し、イオニアは再びペルシアに征服されてしまった。

しかし、ギリシア軍の相次ぐ勝利は、エーゲ海対岸の同胞たちに幸運をもたらした。ミュカレの戦い紀元前479年)におけるペルシア軍の敗北で、ついにイオニアは自由を手に入れた。イオニアはアテナイの独立した同盟国となった(デロス同盟を参照)。しばらく自治は続いたが、紀元前387年のアンタルキダスの和平により、他のアジアのギリシア人都市同様、イオニアは再びペルシアの支配下に置かれた。もっともそれは名目上で、実際にはかなりの自由を保持していた。しかし、それもアレキサンダー大王の小アジア侵攻の時までだった。グラニコス川の戦いで、イオニアのほとんどの都市が征服されてしまった。ミレトスは単独で持ちこたえたが、長きにわたる包囲攻撃に、陥落してしまった(紀元前334年)。この時からイオニアはマケドニア王国の領土となった。しかし、ミレトスを除く都市は、アンティゴノス朝やその次のローマの支配下でも、なお繁栄を続けたのだった。
地理エフェソスの古代の劇場(撮影Traroth)

イオニア地方は、南北162km、東西36?54kmだった。しかし、その他にも、ミマス半島、キオス島・サモス島という大きな島が加わる。海岸線は非常に入り組んでいて、海岸に沿って航海すると実際の距離のほぼ4倍にもなった。この地方の大部分は、山で占められていた。

現在もそうであるが、気候はとても良く、古代人には、小アジアでも最も肥沃な土地として有名だった。

植民地は当然のように栄え、とりわけミレトスは古代ギリシアの重要な商業都市となり、ミレトスからさらに、ユークシン海およびプロポンティス海の沿岸具体的にアビドゥスキュジコスからトラペズスパンティカパイオン(現ケルチ)までの植民が行われた。

一方、ポカイアは最初のギリシア人都市の1つで、その都市の水夫たちは西地中海沿岸の探検を行った。

エフェソスは、重要な植民地は作らなかったものの、早い時期から繁栄し、現代のイズミルの役割と共通するものを持っていた。
学芸ミレトスで見つかった男性のトルソーパロス島産大理石製。紀元前480年-紀元前470年頃。

イオニア地方は哲学・文学・美術に、多くの人材を輩出した。
哲学詳細は「イオニア学派」を参照
文学

ホメーロスの出身地はイオニア(たとえばキオス島)と言われている。
美術

サモスのテオドロス Theodorus of Samos
(紀元前6世紀の彫刻家、建築家)

サモスのロイコス

マグネシアのバテュクレス Bathycles of Magnesia

キオスのグラウコス Glaucus

キオスのメラス

キオスのミッキアデス(メラスの子)

キオスのアルケルモス

キオスのブパロス(アルケルモスの子) Bupalus

キオスのアテニス(アルケルモスの子)

他にも、アペレスはコロフォンの出身と言われている。
脚注
関連項目

イオニア人

イオニア同盟

イオニアの反乱

参考文献

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