イエメン
紀元前7世紀ごろ - サバア王国が、農耕の発達や、インド産香料の中継貿易によって繁栄。アウサーン王国(英語版)の都市がサバア王国によって破壊された。
支配者の激しい入れ替わり
紀元前110年 - ヒムヤル王国(紀元前110年 - 525年)が建国される。
350年 - ヒムヤル王国がアクスム王国(110年 - 940年)から侵入を受ける。
525年 - ヒムヤル王国のDhu Nuwas王の治世に、ユスティニアヌス1世から侵入を受ける。
531年 - Abraha率いるエチオピアの勢力がイエメンに侵攻し、King of Sabaを宣言。
575年 - サーサーン朝ペルシャの支配を受ける。
イスラム教の流入
7世紀 - イスラム教が流入。
9世紀 - ズィヤード朝が成立。ザイド派のイマーム(宗教指導者)が支配。
11世紀 - スライフ朝(英語版)(1047-1138年)
12世紀- ズライ朝(1138-74年)をトゥーラーン・シャー(英語版)(1174年-1180年)が滅ぼし、彼と父ナジムッディーン・アイユーブを同じくする弟サラーフッディーンを始祖とするアイユーブ朝の支配を受ける(1174-1229年)
13世紀 - ザイド派(シーア派の一派)のイマームを祖とする(en:Imams of Yemen)が成立。
14世紀 - Al Kathiri (Hadhramaut) 王家が成立、近年まで存続。
15世紀 - ラスール朝(1229-1454年)が紅海・アラビア海・インド交易の拠点として繁栄する。同王朝に鄭和の艦隊が来航
一度目のオスマン帝国の支配
16世紀 - オスマン帝国の支配下に入るが、イエメン人はオスマン帝国に対し抵抗。1世紀後にオスマン勢力を駆逐し、ザイド派勢力による支配を再び受ける。
19世紀初頭 - エジプトの勢力下に置かれる。
南部のイギリスの植民地化
1839年 - イギリスがアデンを始めとする南イエメンを占領。以後、南イエメンはイギリスの植民地となる。
二度目のオスマン帝国の支配
1849年 - オスマン帝国が北イエメンを再占領。
1869年 - イギリスが南イエメンにアデン保護領(英語版)(1869年 - 1963年)を設置。
イエメン王国成立
1918年 - オスマン帝国の第一次世界大戦敗北にともない、イエメン王国が独立。
1934年 - サウジ・イエメン戦争、アシール首長国(英語版)がサウジアラビアに併合される。
イエメン王国崩壊
1962年 - 軍事クーデターにより、イエメン王国が崩壊。イエメン・アラブ共和国が成立するも、北イエメン内戦が勃発(?1970年)。
1963年 - アデン保護領を南アラビア保護領(1963年 - 1967年)に改称。
1965年 - アル=マフラ県に隣接するオマーンのドファール地方で、南イエメンが支援するDhofar Liberation Front(DLF)によるドファールの反乱(英語版)(1962年-1976年)が激化。
北イエメンと南イエメン
英領南アラビア独立
1967年 - 英領南アラビア保護領(南イエメン)が、南イエメン人民共和国(1967年 - 1990年)として独立。後にイエメン人民民主共和国へ改称。
1989年11月30日 - アデン合意により南北統一への途が開かれる。
南北統一
1990年5月22日 - イエメン・アラブ共和国(北イエメン)とイエメン人民民主共和国(南イエメン)が合併(イエメン統一)し、現在のイエメン共和国が成立。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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