イエス_(バンド)
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代表作にアルバム『こわれもの』(1971年)、『危機』(1972年)、『ロンリー・ハート』(1983年)などがある。1985年度グラミー賞受賞。2017年、「ロックの殿堂」入り。
略歴
アート・ロック時代(1968年 - 1970年)
結成からデビューまで
ジョン・アンダーソンクリス・スクワイア

1968年2月、ジョン・アンダーソンは「ウォリアーズ(Warriors)」[注 1]というバンドから脱退した後、短期間ながら「ジョン・アンダーソン・アンド・ザ・ガン」というバンドで活動していたが、その後に「メイベル・グリアーズ・トイショップ」というバンドを結成したばかりのクリス・スクワイアクライヴ・ベイリーと合流。バンドの元ギタリストだったピーター・バンクスを呼び戻し、音楽雑誌でのメンバー募集の広告を見たビル・ブルーフォードがそれに合流した。この5人編成による初めてのライブが同年6月7日、ロンドンに近いデプトフォードにある「レイチェル・マクミリアンズ・カレッジ」で行なわれている。そしてバンクスの案でバンド名を「イエス」と改名する[注 2]

この時点でのメンバーは、アンダーソン(ボーカル)、スクワイア(ベース)、バンクス(ギター)、ボブ・ハガー(ドラム)[注 3]の4人である[注 4]。その後、トニー・ケイ(キーボード)が加わり、ブルーフォードも復帰し、8月3日イースト・マーシー・ユース・キャンプにて初めて「イエス」と名乗ったギグが行われている。同年8月にはマーキー・クラブ(Marquee Club)に毎週水曜日の夜に出演する様になる。しかし、8月31日のブラック・シープ・クラブでの演奏を最後にブルーフォードが大学に戻る為にバンドを離脱し、9月6日マーキーでのギグからはトニー・オライリーが11月18日までドラムスを担当した(11月5日のギグのみイアン・ウォーレスがドラムを担当)。

9月にはイギリス・ツアーをキャンセルした「スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン」の代役としてイギリスの各クラブに出演し、その後の11月24日のギグからブルーフォードが復帰している。11月26日に行われたクリームのフェアウェル・コンサートでは前座を担当した。この頃からメロディー・メーカー(Melody Maker)をはじめ各音楽マスコミでの露出も多くなり、翌1969年2月にはアメリカのアトランティック・レコードと契約した[注 5]トニー・ケイ
『イエス・ファースト・アルバム』『時間と言葉』


クリス・スクワイア(ベース)

ジョン・アンダーソン(ボーカル)

ビル・ブルーフォード(ドラム)

ピーター・バンクス(ギター)

トニー・ケイ(キーボード)

1969年にデビュー・アルバム『イエス・ファースト・アルバム』、1970年にセカンド・アルバム『時間と言葉』を制作した。また、「スウィートネス」など数種のシングルも発表している。

デビュー・アルバムはプログレといわれるような音ではなく、当時、目指していたビートルズザ・フーバーズクリームヴァニラ・ファッジなどに似た、アート・ロックサイケデリック・ロックである[注 6]

アルバム『時間と言葉』ではオーケストラと共演している。

1969年4月にジャニス・ジョプリンの前座を務めたのを初め、様々なコンサートのサポートやロック・フェスティバルの出演を続け、8月にはヨーロッパ各地でプロモーション・ツアーが行われた。1970年の2月にはロンドンでナイスとのジョイント・コンサートが開催され、3月には初の単独コンサートがロンドンで開催された。
プログレッシブ・ロック期(1970年 - 1979年)スティーブ・ハウ
『イエス・サード・アルバム』


クリス・スクワイア

ジョン・アンダーソン

ビル・ブルーフォード

トニー・ケイ

スティーブ・ハウ(ギター) - 新加入

1970年4月18日のコンサートを最後にピーター・バンクスが解雇された。後任[注 7]スティーヴ・ハウが加わった編成で、3枚目のアルバム『イエス・サード・アルバム』が発表された。前作『時間と言葉』でエンジニアとして関わり、後々までイエスのスタジオ・ワークおよびステージの音響でも重要な働きをすることになるエディ・オフォードが、バンドとの共同プロデューサーとして参加している。

1970年7月からヨーロッパ各地を含む数々のコンサートが行なわれ、翌1971年3月からは全16回という初の本格的なイギリス・ツアーが開催された。さらに6月頃には初めてアメリカでコンサート・ツアーを行っている[注 8]

1971年7月31日のコンサートを最後にトニー・ケイが解雇され、このメンバー編成は終結した。リック・ウェイクマン
『こわれもの』『危機』


クリス・スクワイア

ジョン・アンダーソン

ビル・ブルーフォード

スティーヴ・ハウ

リック・ウェイクマン(キーボード) - 新加入

ストローブスリック・ウェイクマンが加わり、1971年に4枚目のアルバム『こわれもの』、1972年に5枚目のアルバム『危機』が発表された。ロジャー・ディーン (2008年)

『こわれもの』はバンドとしての演奏と各メンバーのソロ小品で構成され、アート・ワークに初めてロジャー・ディーンが起用された作品でもある。バンドの代表曲と認識されている「ラウンドアバウト」が収録されている。

『危機』は全3曲というトータル・コンセプト・アルバムで、イエスの代表作とされている。

1971年9月にはリック・ウェイクマン加入後初のライブが開催され、同月には2回目のイギリスツアー、11月には2回目のアメリカ・ツアーが催された。1972年2月から3月にかけての3回目のツアーが催行された時、『イエス・サード・アルバム』と『こわれもの』がアメリカでゴールド・ディスクを獲得している。
ビル・ブルーフォードの脱退

『危機』のレコーディングが完了した直後にビル・ブルーフォードは脱退してキング・クリムゾンに移籍した。そのため、ジョン・レノンプラスティック・オノ・バンドなどのセッションで活動していたアラン・ホワイトが加入し、1972年7月からの4回目のアメリカ・ツアーが行なわれている。翌1973年にリリースされた3枚組ライブ盤『イエスソングス』では、ドラムスのほとんどをアラン・ホワイトが担当したテイクで構成されており、「遥かなる思い出?ザ・フィッシュ」や、ドラム・ソロを含む「パーペチュアル・チェンジ」はビル・ブルーフォードのドラムスによる演奏が使用されている。
『海洋地形学の物語』
US.コロンビア公演(1974年)

クリス・スクワイア

ジョン・アンダーソン

スティーヴ・ハウ

リック・ウェイクマン

アラン・ホワイト (ドラム) - 新加入

1973年にアルバム『海洋地形学の物語』が発表された。1973年の初来日公演中にアンダーソンが読んでいたヒンドゥー教僧侶の著書からインスパイアされた作品である。大作指向はエスカレートし、LPレコード2枚組で各面が1曲、計全4曲という構成となった。
リック・ウェイクマンの脱退

『海洋地形学の物語』のコンセプトや出来そのものに不満を感じ、コンサートでのそれらの曲の演奏に飽き飽きしていたウェイクマンは、自身のソロ活動の成功もあって、1974年5月にイエスを脱退した。
『リレイヤー』


クリス・スクワイア

ジョン・アンダーソン

スティーヴ・ハウ

アラン・ホワイト

パトリック・モラーツ(キーボード) - 新加入

ウェイクマンの後任候補としてアフロディテスチャイルドのキーボードでギリシャ人のヴァンゲリス・パパサナシューの名前が挙っていたが、ユニオン(音楽家組合)の問題(当時、組合の主導により、外国人のイギリスでの音楽活動が極度に制限されていた)などで実現しなかった。


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