イエスの言行を記した福音書を含む『聖書』は、世界でもっとも翻訳言語数が多い歴史的ベストセラーであり、音楽・絵画・思想・哲学・世界史などに測り知れない影響を与えた。 ヘブライ語では ???? ????? (???????? ?????????? /Y??ua Ha-Ma??a?/ 、イェーシュア・ハ=マシーアハ)、「油を注がれた(聖別された)者(=メシア)であるイエス」という意味。 イエスの語源は、ヘブライ語で「ヤハウェ(????)は救い(????????? hoshia)」を意味する[7][17]ユダヤ人の男性名。原語であるヘブライ語では ???????? Y??ua(イェーシュア)または ?????????? Y?h??ua(イェホーシューア、ヨシュア)。『旧約聖書』の「民数記」や「ヨシュア記」に登場するイスラエル人(ユダヤ人)の指導者ヨシュアなどと同名である。他の預言者や王などと同様に、????(ヤハウェ)の短縮形である ???(Yah)を含む[7][17]。ただ、当時のユダヤ人としてはありふれた一般的な男性名であった。 日本語の「イエス」は、ヘブライ語のイェーシュア、またはアラム語: ?????? Ye?? [je?u?](イェシュー)を元にしたと思われる古代ギリシア語あるいは古典ラテン語「イエースース」の慣用的表記である。これらの表記の語尾は主格形であり、格変化すると異なる語尾に変化する。日本語の慣用表記「イエス」は、古典ギリシア語再建音から、日本語にない固有名詞の格変化語尾を省き、名詞幹のみとしたものである。中国語では、イエスは「耶蘇」(?音:Y?s?、イエス)と呼ばれ、その字が日本語に借用されて「やそ」とも言う。 中世?現代ギリシア語からは「イイスース」と転写しうる。日本ハリストス正教会が用いる「イイスス」は、Ιησο?? の中世ギリシア語・現代ギリシア語、あるいは教会スラヴ語に由来する転写である。正教古儀式派では、イススという、東スラヴ地域でかつて伝統的だった呼称を現在も用いている。 かつての日本のカトリック教会では、教会ラテン語の発音からイエズスという語を用いていたが、現在ではエキュメニズムの流れに沿ってイエスに統一されている[注 4]。 戦国時代から江戸時代初期にかけてのキリシタンは、ポルトガル語の発音からゼズまたはゼズスと呼んでいた。その他の読みとしてはエスとも[18]。 アラビア語からは「イーサー」と転写しうる。 この名は福音書によると、イエスが胎内にいる時に、ナザレのヨセフまたはイエスの母マリアに天使ガブリエルが現れて告げた名であると記されている。主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。 ? 『マタイによる福音書』第1章第20-21節
名称
イエス「イエス (人名)」および「イエス#イエス(人名)」も参照
命名の告げ知らせ
「見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい」。 ? 『ルカによる福音書』第1章第26節
インマヌエル預言詳細は「インマヌエル」を参照
紀元前8世紀頃に記されたとされる旧約聖書『イザヤ書』には、マリアの処女懐胎を想起させる記述がある。それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。 ? 『イザヤ書』第7章第14節(口語訳聖書)
『マタイによる福音書』では、これを引用して、預言の成就であると解釈している。すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。 ? 『マタイによる福音書』第1章第22-23節(口語訳聖書)
このため、「インマヌエル」という名がイエス・キリストの別名のような扱いをされることがある(聖歌「Veni, Veni, Emmanuel」など)。
キリスト詳細は「キリスト」および「メシア」を参照
「キリスト」は、メシア(ヘブライ語: ???????? Ma??a?、アラム語: ??????? m'????')のギリシア語訳である Χριστ?? Khr?stos、およびラテン語: Christus の日本語慣用表記。「救世主」というニュアンスで理解されることが多いが、原義は「油を注がれた者」という意味である[19]。また元来、固有名詞ではなく称号である[20]。 「イエス・キリスト」はギリシア語で主格を並べた同格表現で、「キリストであるイエス」「イエスはキリストである」の意味である。 マタイ伝・マルコ伝はそれぞれの冒頭で「ダビデの子イエス・キリスト」「神の子イエス・キリスト」と呼び表しており、この結合表現は新約の他の文書でも用いられている。パウロ書簡には「イエス・キリスト」と並んで「キリスト・イエス」の表現も見られるが、紀元1 - 2世紀の間に「イエス・キリスト」の方が定着していった。 「キリスト」は救い主への称号であったため、キリスト教の最初期においては、イエスを「イエス・キリスト」と呼ぶことは「イエスがキリストであることを信じる」という信仰告白そのものであったと考えられる。 しかし、キリスト教の歴史の早い段階において、「キリスト」が称号としてではなくイエスを指す固有名詞であるかのように扱われ始めたことも確かであり[注 5]、パウロ書簡においてすでに「キリスト」が固有名詞として扱われているという説もある[注 6][21]。 英語では、Jesus Christ(ジーザス・クライスト)と表記される。 以下、イエス・キリストとは何者かについて、正教会、カトリック教会、聖公会、プロテスタントに共通する見解を、主に教派ごとの出典に基づいてまとめる。
イエス・キリスト
何者なのか
見解
イエス・キリストは神のたった一人の子である[22][23][24][25][26][27][28][29]。