イエス・キリスト
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神の子は、三位一体の子なる神であり、ほかの2つの位格と本質を同じくする[22][23][24][25][26][27][28]

イエス・キリストは神の子が受肉して人の性をとった、真の神であり真の人である。この人性は、「罪を持たない」という一点を除いて、まったく完全なものである[22][23][24][25][26][27][28]

1つの位格のうちに神性と人性の2つの本性を持つとされる[30]


信仰の確立

紀元後30年ごろ
[31]ナザレのイエスが刑死する。

イエスの復活信仰の確立

50年ころパウロテサロニケの信徒への手紙一を記し、生ける真のによって、死んだはずのナザレのイエスが死者たちの中から起こされたことを表明した[32]。テサロニケの信徒はイエスは死んでから蘇ったという復活信仰を始めた。

54年ころパウロはコリントの信徒への手紙一を記し、神によって、死者たちの中から三日目にナザレのイエスが復活したことを表明した[33]。コリントの信徒はイエスは死んでから蘇ったという復活信仰を始めた。

70年ころ無名の著者はマルコによる福音書を記し[34]、ナザレのイエスの死後女性信徒たちに何らかの事象が起きたことを表明する[35]。空になった墓を見たという記述以降は、後代の加筆であるとされている[36]。南シリアの信徒はこれより、イエスの生涯を福音的視座をもって眺めることとなる。

80年代、無名の著者はマタイによる福音書を記し[37]、死人の中からナザレのイエスが起こされたことを表明した[38]。西シリアの信徒は死人の中からナザレのイエスが起こされたという信仰を始めた。

80年代、無名の著者はルカによる福音書を記す[37]。イエスの復活信仰が確立した。

主イエス・キリスト信仰の確立

50年ころパウロはテサロニケの信徒への手紙一
を記し、イエスは主としてすぐに来臨してくることを表明した[39]。テサロニケの信徒はナザレのイエスは主イエス・キリストであるという信仰を始めた。

54年ころパウロはコリントの信徒への手紙一を記し、イエスは私たちの主なるキリストであるということを表明した[40]。コリントの信徒はイエスは私たちの主なるイエス・キリストであるというキリスト信仰を始めた。

80年代、無名の著者はマタイによる福音書を記し[37]、ナザレのイエスの父ヨセフは、アブラハムダビデの子孫であり、ヨセフの子であるナザレのイエスは預言されていたキリストであることを表明した[41]。西シリアの信徒は、イエスはヨセフの子であり、予言されていたキリストであるという信仰を始めた。

80年代、無名の著者はルカによる福音書を記す[37]

90年代、無名の著者は使徒言行録を記す[37]。ステファノが死の直前に聖霊に満たされてイエスが神の右に立っているのを見たことを表明する[42]。信徒は神の右にイエスが立っているという信仰を始めた。ユダヤ教に伝承されてきたキリストが主イエスであるという信仰が確立した。

イエスの死を通しての贖罪信仰の確立

50年ころパウロはテサロニケの信徒への手紙一
記し、来たらんとしている神の怒りからイエスが救い出してくれることを表明した[43]。テサロニケの信徒は神の怒りからイエスが救い出してくれるという信仰を始めた。

54年ころパウロはコリントの信徒への手紙一を記し、イエスは神の御子であり、イエスは私たちの罪のために死んだということを表明した[44]。コリントの信徒はイエスは神の御子であり、イエスは私たちの罪のために死んだという贖罪信仰を始めた。また、パウロはコリントの信徒への手紙一紙を記し、アダムにおいてすべての者が死ぬように、そのようにキリストにおいてもまた、すべての者が生きるようにさせられるということを表明した。コリントの信徒はイエスによってアダムの罪による自分たちの死が神の御子により蘇りに転換したという信仰を始めた[45]

80年代、無名の著者はマタイによる福音書を記し[37]、イエスはヨセフの子ではなく、聖霊によって身ごもった神の御子であることを表明した[46]。そしてかれの民をもろもろの罪から救うことを表明した[47]。西シリアの信徒はそれに倣った。また、山上の垂訓の中に主の祈りを記した[48]。これにより西シリアの信徒は 信仰の行としての毎日の祈りの中で怒りの神とは異なる父なる神の信仰を始めることとなる。信徒は個人として主なるイエス・キリストとの関係を深めることとなり、イエスの死を通しての贖罪信仰を深めることとなる。

80年代、無名の著者はルカによる福音書を記す[37]。イエスの死を通しての贖罪信仰が確立した。

終末信仰の確立

50年ころパウロはコリントの信徒への手紙一を記し、自らの
終末観を表明した[49]。この終末観は初期キリスト教の預言者の言葉である可能性大であるとされている[50]。テサロニケの信徒は下記の予測についての終末信仰を始めた。

パウロが生きているうちに主の来臨がおきる。

パウロが生きているうちに合図の声とともに主が天から下ってくる。

パウロが生きているうちにキリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえる。

パウロが生きているうちによみがえった死人や眠っていた人たちが天に上げられる。

パウロは生きたままで空中で主に会うことになり、そののちはいつも主と共にいることになる[51]

54年ころパウロはコリントの信徒への手紙一の手紙を記し、自らの終末観を表明した[52]。コリントの信徒は再臨の時までパウロが生き残ることと、不死なる体に変化する世の終わりが近づいてきているという終末信仰を始めた[53]
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