各エピソードの詳細は、それぞれの項目を参照。
旧約聖書
旧約聖書に預言されたキリスト
イザヤ 7:14
イザヤ 9:6
イザヤ 11:1
イザヤ 53:1
エレミヤ 23:5
ミカ 5:1
ゼカリヤ 9:9
降誕と幼少時代『イエスの神殿への奉献』(1886年 - 1894年頃の作品、ジェームズ・ティソ、en:James Tissot)
ヨセフの婚約者であったマリアは、結婚前に聖霊により身ごもった。紀元前3年9月、ツァドク暦で第7ホデシュの15日からの仮庵の祭りの頃、天使の御告によりヨセフはマリアを妻に迎え男の子が生まれ、その子をイエスと名づけた。大多数の教会では12月25日を誕生日と記念しクリスマスとして祝う。しかし、聖書の記述にはイエスの誕生日を明確に明言している箇所は1つもなく、イエスの誕生日が12月25日であるという確証はない。
かなり広く受け入れられていた説明によると、カトリックが、274年以来、12月25日をイエスの誕生と定めたのは、ローマで、太陽が一年のうちで最も長い夜に打ち勝つ日を祝っていたからであるという意見である。この説明の根拠は、降誕祭の典礼と当時の教父たちが、イエス・キリストの誕生と聖書の「正義の光」(マラキア4,2)や「世の光」(ヨハネ1,4他)双方の間に、平行関係を確立させたことにある。しかし、これを証明するのは難しい上に、当時のキリスト者が異邦人の祝日をキリスト教典礼暦に採用したと考えることは、特に迫害が終ったばかりの頃だから、難しいと思われる。勿論、時が経つに連れてキリスト教の祝日が異教の祝いを吸収したと考えることはできるだろう[56]。
後世のカトリック教徒が定めたからイエスの誕生日が12月25日となったとされる。むしろ、ルカ2:8の文書ではイエスが誕生した時の様子として「羊飼いたちが夜に、野宿しながら羊の群れの番をしていた。」の記述があることから、イエスが12月に誕生したと考えるには無理がある(ベツレヘムでは12月は冬の季節であり、冬の寒い時期に羊飼いが夜に戸外にいるのを見かけることはないと考えられる)。
受胎告知 - ルカ 1:26
処女懐胎
降誕 - ルカ 2:4
三博士の礼拝 - マタイ 2:1
羊飼いたちの来訪 - ルカ 2:8
エジプトへの避難 - マタイ 2:13
ヘロデ大王による幼児虐殺 - マタイ 2:16
エジプトからの帰国
イエスはガリラヤ地方のナザレで育つ。ルカの福音書によれば、大変聡明な子であったという。
神殿奉献 - ルカ 2:22
イエスの幼少時代 - ルカ 2:41
受洗、荒野の誘惑『曠野のイイスス・ハリストス』(1872年作、イワン・クラムスコイ)
そのころ、洗礼者ヨハネがヨルダン川のほとりで「悔い改め」を説き、洗礼を施していた。イエスはそこに赴き、ヨハネから洗礼を受ける。
イエスの洗礼 - マタイ 3:13
そののち、御霊によって荒れ野に送り出され、そこで40日間断食し、悪魔の誘惑を受けた。
荒野の誘惑 - マタイ 4:1
宣教活動『山上の垂訓』(1877年作、カール・ハインリッヒ・ブロッホ)
荒野での試練の後イエスはガリラヤで宣教を開始する。また弟子になった者の中から12人の弟子を選び、彼らに特権を与えた。彼らは十二使徒と呼ばれる。
その後、イエスと弟子たち、また彼らを支える女性たちの活動は3年数か月に及ぶ[注 7]。
山上の垂訓(至福の教えを含む) - マタイ 5:1、ルカ 6:20
イエスの奇跡 - ルカ 5:4、ヨハネ 2:1、マルコ 4:35、マルコ 2:1、ヨハネ 11:1
イエスのたとえ話 - ルカ 10:25、ルカ 11:5、ルカ 12:16、ルカ 12:35、ルカ 14:15、ルカ 15:4
12弟子を宣教に派遣する - マルコ 6:7、マタイ 10:1、ルカ 9:1
「あなたはメシアです」というペトロの信仰告白 - マルコ 8:27
イエスの山上の変容 - マルコ 9:2
イエスはベタニアでマリアから香油を注がれる - ヨハネ 12:1
イエスが弟子たちの足を洗う - ヨハネ 13:4
エルサレム入城 - マルコ 11:1、マタイ 21:1
神殿から商人を追い出す - マルコ 11:15、マタイ 21:12、ルカ 19:45、ヨハネ 2:13
祭司長、律法学者(英語版)、長老たち、サドカイ派との問答 - マルコ 11:27、マタイ 21:23、ルカ 20:1
神殿の境内で姦通の女を石打ちの刑から救う - ヨハネ 8:1
オリーブ山の説教 - マタイ 24:1
受難、死、復活、昇天『この人を見よ (Ecce Homo)』(アントニオ・チゼリ)、エルサレムの人々にイエスを示すピラト『ゴルゴファ(ゴルゴタの丘)の夕べ』(1869年作、ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン)、ハリストス(キリスト)の埋葬準備の光景
(カーリエ博物館蔵)。