イスラム教以前のイランの宗教はマズダー教(及びその内の多数派であるゾロアスター教)である。マズダー教の特徴として世界を善悪の二つの神のグループの戦いとしてとらえる。善神がアフラと呼ばれ、悪神はダエーワと呼ばれる。これに対して、インドの宗教はバラモン教であり、バラモン教の特徴として世界を善悪の二つの神のグループの戦いとして描写する局面を含有しつつも、リグ・ヴェーダ以来インドで一般に神を意味する単語はデーヴァであり、悪神はアスラと呼ばれる[8]。 バラモン教は、インド・アーリア人が創り出した宗教である。 インド・アーリア人はハプログループR1a (Y染色体)が高頻度である。インド北部では48.9%[9]、パシュトゥーン人に51%[10]、タジク人に44.7%[11]みられる。
バラモン教
バラモン教が影響を与えた他の宗教
仏教は、バラモン教の習慣、言語習慣を用いて教えを説いた。
ヒンドゥー教は、バラモン教を土台に、その他の宗教を取り込んで再構成されたものである。
ジャイナ教は、仏教と同時期にヴァルダマーナによって提唱された教えで、より徹底した不殺生を説く。なお仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の三者は成立以降、互いに影響し合って発展してきた経緯がある。
シク教は、ヒンドゥー教とイスラム教の宥和を目指して構築されたもので、両者の教義を取り入れている。
遺伝子
アーリア人と関連した出来事
インド
紀元前2千年紀に、北西インド、パンジャーブでの牧畜が確認される[12]。インド・アーリア人となる。
中央アジア
イラン・アーリア人
一部が古代アフガニスタンのアーリヤーナ(Aryana、アーリア人の土地の意味)に興る。
中央アジアにはその後もアーリア人種が残り、後にスキタイ人が黒海からアゼルバイジャンまでの範囲に栄える。
紀元前2500年頃には、アーリア人種のものと思われるアンドロノヴォ文化や類似する様式がアラル海やキプチャク草原、南西のトルキスタンで見られる。東トルキスタンでは紀元前4000年頃より遊牧が始められていた。
紀元前10世紀頃より、インド北西部から東のガンジス川に向かって移動するにつれ、宗教的な融合も始まる。後にアーリア人は、言語と宗教により認識されるようになる。
紀元前5世紀頃になり、ヴェーダが完成し、バラモン教の宗教的な形式が整えられる。
紀元前5世紀に成立した仏教がブラフミンの特殊性を否定したため、ブラフミンの支配を良く思わなかった王族クシャトリヤ階級に支持され、ブラフミンの地位は落ちて行く。
4世紀、新しい王[誰?]の支持を受け、バラモン教を発展・継承するヒンドゥー教が作られる。
脚注^ 青木健「アーリア人」216ページ
^ ⇒Y-Chromosome distribution within the geo-linguistic landscape of northwestern Russia
^ a b Fortson, IV 2011, p. 209.
^ Mallory & Adams 1997, p. 304.
^ Szemerenyi, Oswald