プログレッシブ・ロックは、古典的訓練を受けた演奏技術及び哲学性に重点を置くように特徴付けられており、交響曲的要素をもつが[5]、一方アート・ロックは「より挑戦的で、ノイズが多く、型にはまらない」「古典的な影響が少ない」、前衛音楽に重点を置いている[5]。類似点は、どちらもロック音楽を芸術性の高いレベルに引き上げる試みを行っていることであり[5]、コンセプト・アルバムやロック・オペラの発想へと結びついた[6]。アートロックは、クラシック要素を持つロック、または上記のプログレッシブ・ロックを指すこともある [7]。ブルース・エダーのエッセイ「アート・ロック/プログレ・ロックの初期の歴史」では、「『プログレッシブ・ロック』は『アート・ロック』または『クラシック・ロック』としても知られています」とし「バンドはスイートを演奏しているのではなく、チャック・ベリーとボー・ディドリーの代わりにバッハ、ベートーベン、ワーグナーからリフを借り、そしてカール・パーキンスやウィリー・ディクソンよりもウィリアム・ブレイクやT・S・エリオットに近い言語を使用している」[8]としている。
1970年代にはドイツのクラウトロックも注目された[9]。アート・ロックとポップ・ミュージックの境界は、20世紀後半にますます曖昧になる [10]。メリアム・ウェブスターオンライン辞書には、1968年以降に勃興したポップ・ミュージックの潮流としてシングルよりもアルバム制作を重視する[* 4]多くのロックバンドが、アート・ロックが目指す壮大な芸術的意思表示をすることを目的として創造した音楽ジャンルとしている[12]。1960年代後半に進行するにつれて、プログレッシブ・ロックの誕生と並行して、アート・ロックは実験的なロックとして評価を獲得していった[13]。アート・ロックでは、1970年代前半にキング・クリムゾンやクイーンなどのイギリス人アーティストが人気を得た[14]。 1970年代半ばには、アート・ロックは全盛期を過ぎてしまった[15]がその後、1990年代まで、アート・ロックはさまざまなポピュラー音楽のジャンルに注入される[16]。ブリタニカ百科事典は、そのジャンルの傾向は、主にイギリスとアメリカで継続したと述べている。数々のハードロック、ポップ・ロック・アーティストとのブライアン・イーノの1970年代後半と1980年代初頭とのコラボレーションに於いて、特にデヴィッド・ボウイやトーキング・ヘッズらは「アート・ロック傾向の注入に成功したポピュラー音楽のジャンル」の例であるとした[16]。
1970年代後半以降