アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン
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ヒルサイド・キャンパスは、パサデナ市から文化財として指定されている[7]
サウス・キャンパス

サウス・キャンパスは2004年に開かれた。キャンパスの土地は、もともと第二次世界大戦中に作られた実験飛行場であったが、サンタモニカに拠点を置くダリー・ジェニック社がリノベーションを行った。キャンパスには次の施設がある。大学院アート学科、メディアデザイン・プラクティス学科、スタジオ、展示スペース、印刷所、凸版印刷スタジオ。加えて、次のような一般向けプログラムも催されている。アートセンター・アット・ナイト、アートセンター・フォー・キッズ、デザイン・ベースド・ラーニング・ラボ。ウインド・トンネルという1,500平方メートルの展示スペースがあり、メディアデザイン・プラクティス学科が使用している。ウインド・トンネルではこれまで、以下のようなイベントが開かれてきた。2年に一度開かれるアートセンター・デザイン会議(2006年の「ラディカル・クラフト」、2008年の「シリアス・プレイ」など)、年に一度開かれる持続可能な移動手段についてのサミット、大きな展示(「スーパーソニック:1つのウインド・トンネル、8つの学校、120人のアーティスト」、「ガーデン・ラボ」、「オープン・ハウス:知的生活のための建築と技術(ヴィトラ・デザイン美術館との共催)」)。他にも、地域コミュニティの集会やイベントも色々と行われている。

2012年、アートセンターはサウス・キャンパスを拡張するため、現在のキャンパスに隣接する旧・アメリカ合衆国郵便公社の土地を購入することを発表した。このとき、アートセンターはキャンパス計画と教育施設の拡充を進めるパートナーとして、マイケル・マルツァン建築事務所を指名した。しかし、この同意があるにもかかわらず、2014年に郵便公社跡地のリノベーションを行ったのはダリン・ジョンストン建築事務所であった。また2014年、アートセンターはパサデナの「ゲートウェイ」にあるオフィスビルを購入することを発表した。学生の新しい住居として使う予定だという。アートセンターの計画では、現在「サテライト」キャンパスのような扱いを受けているサウス・キャンパスを、ヒルサイド・キャンパスと同程度に授業・活動が行われる水準まで高めていく予定だという。
日本との関係

戦後、工業デザインの重要性が高まるにつれ、その技術を導入する動きが1950年代半ばから活発化してきた。1955年通商産業省は貿易振興策の一環としてデザイン研究員の海外留学を予算化し、JETROがその実務機関となってアメリカへ留学生を派遣した。工業技術院・産業工芸試験所からは職員の服部茂夫がアートセンター・スクールに学んだ。[8] [9]

また1956年11月にはエドワード・A・アダムス校長、ジョージ・A・ジャーゲンソン部長、ジョン・コールマン教授、フランク・中村助手を招聘し、同試験所に於て工業デザイン講習会を実施した。[10][11]
著名な卒業生

マイケル・ベイ - 映画「アルマゲドン」「ザ・ロック」の監督

ザック・スナイダー - 映画「300 〈スリーハンドレッド〉」「ウォッチメン」の監督

ロジャー・エイヴァリー - 映画監督および脚本家(映画「パルプ・フィクション」でアカデミー脚本賞受賞)

奥山清行 - フェラーリ・エンツォフェラーリなどをデザイン(トランスポーテーションデザイン学科の学科長も務めた)

シド・ミード - SF映画作品等の工業デザインにおける世界的な第一人者

マイク・シノダ - リンキン・パークフォート・マイナーなどで活躍するミュージシャン(同じくリンキン・パークのDJであるジョー・ハーンも在学していた)

マーク・ライデン(英語) - 美術作家およびポップアートイラストレーター

ターセム・シン - MTVテレビCMの映像作家

スタン坂井 - 叙事伝「兎用心棒」の作者で漫画家

土屋秋野 - GMで活躍中の女性デザイナー

榮久庵憲司 - GKインダストリアルデザイン所長


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