アーチ
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ゴシック建築の体系を賞賛していたスペインの建築家アントニ・ガウディは、自然法則に見られる形状を建築に導入することに熱心で、そのひとつがカテナリーを上下逆にしたアーチ「カテナリーアーチ」である。彼は「建築学的松葉杖」と呼ぶ飛梁を嫌いカテナリーアーチを使用した。カテナリーアーチは、今日では力学的に安定であることがわかっている(直感的には、懸垂状態において部材の引っ張り力のみでバランスが取れている形状なのだから、それを逆にしたものは圧縮力のみでバランスが取れる、と理解できる)。今日では、カテナリに似た、放物線その他の曲線が使われることもある。

馬蹄形アーチは半円アーチに基づいているが、両側が一旦広がってから窄んでいる。この形状のアーチとしては、紀元1世紀のインドで岩に彫ったものが知られているが、くみ上げられた馬蹄形アーチとしては、3世紀から4世紀のアクスム王国(現在のエチオピアからエリトリア)のものとシリアのものが知られている[4]。スペインの西ゴート様式の建築、イスラーム建築ムデハル様式の建築で使われ、ダマスカスモスクムーア風建築に見られる。馬蹄形アーチは強度よりも装飾性を重視したものである。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

アルカンタラ橋(英語版)の半円アーチ。最初はローマ時代1世紀に建造。一旦破壊された歴史があり、現在のものは1543年に再建されたもの。(スペイン アルカンタラ

ヨーロッパ中世の尖頭アーチ。上部が尖っている。(スペインセゴビア県Ayllon)

サンタ・トリニタ橋(英語版)の楕円アーチ

モスク内の馬蹄形アーチ(チュニジア ケルアン

メソアメリカの文明では、様々な擬似アーチ(迫り出しアーチ)が使われていた。例えばチョルーラの大ピラミッドの内部通路など、マヤ文明でよく使われていた。ペルーではインカ帝国の建築物に台形アーチがよく使われていた。

アーチを利用したアーチ橋と呼ばれる。なおアーチ橋の架橋技術は、古代メソポタミア地方で発祥した技術、つまりメソポタミア文明の技術が、世界に伝播して西洋東洋それぞれ独自に発展したとする研究が発表されている[5]。それがはるばる日本にまで伝来し、日本でも琉球王国では15世紀から、日本本土では江戸時代初期から建設が始まり、那覇市天女橋長崎市眼鏡橋岩国市錦帯橋熊本県山都町通潤橋なども造られたわけで、石造やレンガ造のアーチ橋は現存しているものも多い。



種類

半円形アーチ、ゴシックアーチ(尖頭アーチ)、楕円アーチ、馬蹄形アーチについてはついては上の#歴史の節で解説した。

なお、開口部が開口しておらず壁になっている(通り抜けできない)アーチもあり、これは特にブラインド・アーチと呼ばれる[6]

アーチ構造を用いた橋はアーチ橋という。4種類ほどのタイプに下位分類されており、基本は石材やレンガでアーチを組みその上に道を通すタイプであるが、19世紀や20世紀に材が使われるようになってからは、鋼材で作ったアーチを上方に設置しその下に道を吊るような構造の橋も出現した。

上部をアーチ形に築いた門は拱門(きょうもん、英語: archway)、常緑樹の葉で包んだ弓形の門は緑門(りょくもん、英語: green arch)[7]と呼ばれる。

アーチ構造を利用したダムはアーチダムという。これは横方向からの水圧に耐えるためにアーチ構造を使う。
擬似アーチ詳細は「持送りアーチ」を参照

擬似アーチとは、図のようにアーチ部分の石を水平に少しずらしながら空間を得る構造である。持送りアーチまたは迫り出しアーチとも呼ばれる。ただし力学的にはアーチと異なる。

クメール様式で知られるアンコール遺跡に残る遺跡でも数多く見ることができる。

擬似アーチ

エレウテルナ橋(英語版)。持送りアーチ橋。スパンは3.95メートル。紀元前4世紀紀元前3世紀のものと推定されており、古代ギリシアクレタ島都市国家エレウテルナ(英語版)によるもの。

建造物のアーチに形状が似ているもの。基本的に比喩である。

は、弧の全体が綺麗に見える場合は形がアーチに似ているので「rainbow arch レインボーアーチ」などと言うことがある。

屋外イベント類(マラソン大会や橋梁の開通式など)に用いられる、空気を入れて膨らませるビニール製の、弧の形をしたフニャフニャしたものは、アーチのような形をしているので「エアアーチ」という。

rainbow arch レインボーアーチ

ギャラリー

ウェンブリー・スタジアム(2007年、ロンドン

セントルイスゲートウェイ・アーチカテナリーアーチ。

手でアーチを模したもの

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 日本列島という場所はテクトニック・プレートが集まる場所で、例外的に地震が多い場所だったので、組積造が向かず、木造軸組構法を採用することが一般化した。だが日本のような地震の多い状況は、世界的に見るとかなり特殊で、例外的である。日本の状況を「一般的」などと見なすことは、到底できない。
^ 開口部が必要でなく、単純に通路の高さを等しくしたいだけならば、単純に低い土地を埋めてしまえばよい。だが、川の場合は川の水は流れるようにしておきつつ、その上方を人が通れるようにしなければならない。
^ これは、大部分が曲げモーメントせん断力として力が伝わる直線形状の梁と対照的である。
^ なお組積造ではないアーチにおいても、これをモチーフとした装飾を見ることができる。
^ ピザ窯の場合、木製の支持体について「(もし面倒なら)窯が完成したら、窯の中で木材を焼いて炭にしてから取り除いても良い」と解説しているものも一部にある。なお木製の支持体を焼いてしまって取り除く、というのは、窯という、もともと内部で火を使うための構造物で耐火煉瓦を使っている場合にしか使えないテクニックである。通常の建造物で木製の支保工を焼いたら、アーチを構成する建築材料が傷んでしまい、崩壊が始まってしまう。

出典^ a b Merriam Webster, definition of arch.
^ 「図説 人類の歴史 別巻 古代の科学と技術 世界を創った70の大発明」p70 ブライアン・M・フェイガン編 西秋良宏監訳 朝倉書店 2012年5月30日初版第1刷


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