アーサー王
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『列王史』や『カンブリア年代記』には彼の称号として「王(rex)」が使われておらず、『列王史』では「戦闘指揮官(dux bellorum)」、あるいは単に「兵士(miles)」と呼ばれているにすぎない[16]

ポスト・ローマ時代は史料にとぼしく、そのためアーサーの歴史性の問題に明確に答えを出すのは困難である。12世紀以降、数多くの遺跡や場所が「アーサー時代のもの」とされてきたが、考古学的には、しっかりした年代測定の碑文の調査を通すと名前以上のことは何も明らかにできていない[17]1998年コーンウォールのティンタジェル城の遺跡で「アーサーの石」なるものが発見され話題になったが、実際には無関係であることが証明された[18]。「グラストンベリーの十字架」など、他のアーサーに関する碑文資料のいずれも贋作の疑いを逃れるものはない[19]。アーサーの原型となった人物として数名の歴史上の人物の名が挙げられているが、どれもそれらがアーサーであることを裏付ける確実な証拠は発見されていない(具体的には、2世紀ないし3世紀ブリタニアに進駐していたローマ人将校ルキウス・アルトリウス・カストゥス[20]、簒奪帝マグヌス・マクシムス、ローマ影響下のブリタニアを統治したとされる数名の人物、リオタムス[21](Riothamus)、アンブロシウス・アウレリアヌス[22]、オウェイン・ダヌイン[23](Owain Ddantgwyn)、アスルイス・アプ・マウリグ[24](Athrwys ap Meurig)など)。1136年にはウェールズ人ジェフリー・オヴ・モンマスの書いた『ブリテン列王記』が初めてアーサーの全生涯を詳しくを述べているが、これはすでに著者の空想が多くの部分を占めている。
アーサー王物語においてアーサー王(ハワード・パイル『アーサー王と騎士たち』の挿絵)

アーサー王の伝説上の物語はその配下の12人の円卓の騎士たちの物語とともに語り継がれ、多くのバリエーションを持つが、次第に理想のキリスト教的君主として描かれるようになっていく。ロマン主義の時代にも作品のモチーフとして非常に好まれ、現代でもしばしば映画の題材となっている。物語の細部化に伴い、円卓の騎士の数も次第に増加していった。またアーサー王伝説は、聖杯伝説などとも結びついていく。

それらの伝説の中でユーサー・ペンドラゴンの息子アーサーは、「これを引き抜いた者は王となるだろう」と書かれた台座に刺さっていた剣を引き抜き、魔法使いマーリンの助けで名君に成長していく。その途中湖の中で聖剣エクスカリバーを入手したり、キャメロット城を拠点として巨人退治やローマ遠征など様々な冒険を重ねフランスやイタリアなどを支配する巨大な王国となる。

グィネヴィアという妃を迎えて、アーサーは諸侯の騎士たちを臣下に迎えて円卓に席を与え、こうして有名な円卓の騎士が結成された。

しかしランスロットと妃の不義から円卓の騎士団は崩壊する。ランスロットと戦うためにフランスに出兵し、国は異父姉との不義の子モルドレッドを摂政に任命することで任せた。だがモルドレッドは謀反を起こしたのである。そして、モルドレッドはグィネヴィアを自分の妃に迎えようとしたが、グィネヴィアは拒絶し、ロンドン塔に籠城したので、モルドレッドは軍を率いて取り囲んだ。事情を聞いて軍勢を率いて舞い戻ったアーサー王は戦い、カムランの戦いでモルドレッドと一騎討ちし、槍で突き刺して討ち取るものの、深手を負う。

その後ベディヴィアに指示して湖の水面から現れた手に聖剣エクスカリバーを返し、小船で去る。アヴァロンの島へ傷を癒しに行ったのだといわれる。またアーサー王はアレクサンドロス3世湖の乙女との子孫である[25]
ナルト叙事詩との関連

アーサー王をはじめとする伝説の多くは、従来はケルトに由来するというのが有力な説であった。しかし近年では黒海東岸のオセット人ナルト叙事詩と共通の起源を持つという説が注目されている[26]。この説で特に注意されているうちの一つは、アーサー王の死とナルト叙事詩の大英雄バトラズの死との間に顕著な類似が認められることである。

アーサー王は死の直前ベディヴィアに湖にエクスカリバーを投げ込むよう指示する。しかしベディヴィアはエクスカリバーの美しさに見惚れて湖に投げ込んだと嘘をつく。しかしアーサー王は奇跡(つまり湖から手が現れて剣を受け取る)が起きないことを理由にその嘘を見抜き、仕方なくベディヴィアは剣を湖に投げ入れる。一方のバトラズも死の直前、ナルトたちに自分の神剣を海に投げ込むよう命じる。しかしその剣のあまりの重さゆえに、ナルトたちが海に投げ入れたと嘘をつくと、やはり何の奇跡も起きていないことを理由にその嘘を見抜き、ナルトたちは仕方なく剣を海に投げ込む。奇跡の内容など違いもあるが、物語の構成に類似が保存されている、と論じられている。
名前

アーサーという名前の由来も議論の的となっている。ローマ氏族名アルトリウス(Artorius)が由来とする説があるが、この氏族名自体、語源がはっきりしていない[27](ただし、メッサピア語[28][29][30]エトルスキ語[31][32][33]の可能性が指摘されている)。学者によっては、初期のラテン語のテキストにはArturusとあるのみでArtoriusという語形が一度も出てこないという事実をこの議論に関連付けて論じることがある。しかし、このことはアーサーの由来について何の手がかりにもならない。なぜなら、Artoriusはウェールズ語に借用されるときは必ずArt(h)urと綴られたからである[34]。ただし、古典ラテン語のArtoriusは俗ラテン語の方言でArturiusと綴られることがあったことは留意すべきである。

もう一つの可能性としては、ブリソン語の父称*Arto-r?g-ios(*Arto-r?gは「熊の王」を意味し、古アイルランド語の人名Art-riに現れている)がラテン語形のArtoriusを経由したもの、という説がある[35]。また、これより一般的だが信憑性の低い説に、ウェールズ語のArth「熊」+(g)wr「男」に由来するというものがあるが、これは音声学的に無理がある。この推論を踏まえると、ブリソン語の複合語*Arto-uriosは古ウェールズ語では*Artgur、中世・現代ウェールズ語では*Arhwrという語形が発生するはずだが、実際に書き残された語形はArthurのみである。ウェールズ語の詩においてアーサーの名は常にArthurと綴られ、必ず-ur-の語尾を持つ語と脚韻を踏んでいる。-wr-の語と脚韻を踏むことは一度もなく、このことから第二音素が[g]wrであることはありえないという[36][37]

他の学説では、これは学者の中でも限定的にしか受け入れられていないが、アーサーという名はうしかい座の恒星、アークトゥルス(Arcturus)に由来するという説がある[38][39][40][41][42][43]。アークトゥルスは古代ギリシア語に由来する言葉で「熊の守護者」を意味する。この星はおおぐま座に近く、また輝きが強いことからとそう呼ばれるようになったという。古典ラテン語のArcturusがウェールズ語に借用された際に、Art(h)urと綴りが変化したのだとされる[44]。また、ジョン・トレヴィサが翻訳した1398年頃のバルトロマエウス・アングリクス著『物性論』は、アーサー、アーサー王、アークトゥルス、、おおぐま座、北斗七星(「おおぐま座付近の七つ星(“the seven stars in nearby Ursa Major”)」)、「アーサーの車(“Arthur's Wain”)」という一連の意味を含んでいる[45]。「熊のジャン」も参照

Arthurに語形の近い古アイルランド語の人名にArturがあり、これは初期古ウェールズ語のArturを直接借用したものと考えられている[46]。この名前は、歴史上の人物の名前としてはアイザーン・マク・ガヴァーン(Aedan mac Gabrain)の子あるいは孫の名前として登場するのが最初期の例とされる(紀元後609年頃)[47]
中世文学

現在親しまれているアーサー像を創りだした人物は、1130年頃に偽史『ブリタニア列王史』を書いたジェフリー・オブ・モンマスである。ジェフリー以降の作品はすべて彼の影響を大きく受けており、そのためアーサーに関する原典資料はジェフリー以前と以降に分けるのが一般的である。ジェフリーの以前の時代はプレ・ガルフリディアン(Pre-Galfridian;ジェフリーのラテン語名Galfridusに由来する)、以降の時代はポスト・ガルフリディアン(post-Galfridian, あるいは単にガルフリディアン)と呼ばれている。


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