アーサー・フィリップ
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1790年6月にイギリスから第2陣の船団が到着した。しかし、この船団には100人以上の囚人が乗っていたが、彼らのうちのほとんどが病弱で働くことができなかった。そしてイギリス船Siriusは1790年3月に難破しており必要な物資が失われていた。その中で彼は人口の密集を解消するため、後に激しい虐待の地として悪名高くなるノーフォーク島に入植地を建設した。

1790年12月までに彼はイギリスに戻ることになっていた。しかし、植民地は政府に忘れられており何の指示も受けなかったため彼はそのまま植民地に残った。1791年に彼は政府から2つの囚人の船団とそれに加えて必要な物資が毎年送られるとの報告を受けた。しかし、その年の7月に2000人の囚人を乗せた第3陣の船団が到着しようとしていたとき、食糧は再び底をつき彼はカルカッタに船を派遣しなければならなくなった。

シドニーは木造の小屋やテントしかない集落だったが、1792年までに植民地は落ち着き始めた。捕鯨業が普及し、貿易船がシドニーを訪れ、刑期を満了した囚人は農業に従事するようになった。ジョン・マッカーサーと他の役人たちは羊を輸入し、羊毛の生産を開始した。植民地にはまだ農民や職人、商人が少なく、また囚人たちは自分たちの食糧を生産するだけに限られていた。

1792年の終わり、彼は食糧の不足から体調を崩しついにイギリスに戻る指示を受けた。そして1792年12月11日、彼はEora族のベネロングと数多くの動植物の標本とともにAtlantic号で帰国の途についた。彼の帰国時、ニューサウスウェールズにおけるヨーロッパ人は4,221人でそのうち3,099人が囚人であった。植民地開発の初期は苦闘と困難に直面していたが、最も厳しい時期は過ぎ、ニューサウスウェールズにおいて更なる飢餓は発生しなかった。彼は1793年5月にロンドンに到着し、辞表を提出、そして年間500ポンドの年金の支給を受けた。アーサー・フィリップ像(シドニー王立植物園)
晩年

妻マーガレットは1792年に死亡しており、彼は1792年にIsabella Whiteheadと再婚した。少しの間バースで生活した。彼の健康は徐々に回復し、1796年、対仏戦争で責任のある立場に立ち、部隊の指揮をするため海軍に復帰した。1799年1月には海軍少将になった。1805年、彼が67歳の時に海軍大将として海軍を引退。そして、晩年のほとんどをバースで生活した。彼はニューサウスウェールズの友人と連絡を取り続け、植民地の行政の手助けをし続けた。1814年8月31日バースにて75歳で死去。

Bathamptonの聖ニコラス教会に埋葬された、だが墓は長年所在がわからなくなり、1897年に発見された。そしてニューサウスウェールズ州総督のHenry Parkesによって修復された。1937年バースのBath Abbey教会の彼の記念碑が除幕された。他の記念碑はロンドンのMildred's教会にあったが、1940年ドイツ軍の空爆によって破壊された。しかし主要な部分は1968年セント・ポール大聖堂の近くに立て直された。シドニー王立植物園には彼の記念像が設置され、ナショナル・ポートレート・ギャラリーには肖像画が展示されている。オーストラリアでは彼を記念してポートフィリップ湾やフィリップ島の他多くの通りや公園、学校に彼の名がつけられている。また、現在のオーストラリア・ドル導入以前に流通していた10オーストラリア・ポンド紙幣に肖像が使用されていた。

Alan Serleが彼についてオーストラリア人物事典に記述した文は以下のようである。"しっかりとした精神を持ち、謙虚で自己中心的な行動はしなかった。入植地がどうなるか予測するのに十分な想像力とそのときに何が可能で適切なものかを認識する常識を持っていた。ほとんどの人が不満を述べていたときに彼は決して不満を口にせず、ほとんどの人が災害を恐れていたときに彼は希望をもって自分の仕事を続けることができた。彼は流刑植民地を建設するために派遣され、広大な自治領の基礎を築いた。"
関連文献

Phillip of Australia,M. Barnard Eldershaw著,
1938年

外部リンク

Arthur Phillipの作品
(インターフェイスは英語)- プロジェクト・グーテンベルク

ボタニー湾への航海 - ポートジャクソンとノーフォーク島植民地建設の報告書(1789年から), Project Gutenberg

Arthur Phillip High School - アーサー・フィリップの名がつけられたハイスクール(7歳~12歳)

先代
-
ニューサウスウェールズ州総督
1788 - 1792次代
ジョン・ハンター

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