アーカンソー州の人口重心はペリー郡の北東角となっている[38]。 州北西部のオザークや中央部では、圧倒的にヨーロッパ系アメリカ人が多い。ミズーリ州との州境に近い最北西部オザークでは、ドイツ系、アイルランド系、イングランド系が多い。アイルランド系は主に、北アイルランド、スコットランド低地、および北イングランドから来たスコットランド系アイルランド人プロテスタントであり、アメリカ独立前に渡ってきた者達の子孫である。イングランド系とスコットランド系アイルランド人移民はアメリカ南部の田園部や山岳地に入植した。イギリス系アメリカ人は州内全域で見られる[39]。アフリカ系アメリカ人は主に南部と東部に住んでいる。 人種的な構成比は以下の通りである[40]。 2010年に調査された祖先による分類は次のようになっている[41]。
人種及び祖先
80.1% ヒスパニック含む白人(74.2% ヒスパニックを除く)
15.6% 黒人
6.6% ヒスパニック
1.3% アジア
0.9% インディアン
1.8% 混血
20.7% イギリス系
15.6% アフリカ系アメリカ人
12.5% アイルランド系
11.2% ドイツ系
2.1% フランス系
1.7% オランダ系
1.6% イタリア系
1.6% スコットランド系
1.3% スコットランド・アイルランド系
アメリカ人の祖先を持つと申告している者の多くは、実際にはイギリス系が多く、幾らかはスコットランド・アイルランド系であるが、多くの場合州昇格以前から州内に住んでおり、単純にアメリカ人と申告するか、自身の祖先を知らないかである。その祖先は13植民地時代に遡り、そのためにアメリカ人を申告している。アイルランド系を申告する者の多くはスコットランド・アイルランド系である[42][43][44][45]。 2000年現在、5歳以上のアーカンソー州民の93.8%は自宅で英語を話し、4.5%はスペイン語を話している。0.7%がその他のインド・ヨーロッパ語を話し、0.8%がアジア系言語、その他が0.2%である。 多くの他の南部州と同じく、アーカンソー州はキリスト教プロテスタントが多数を占める。住民の宗教的関係は以下のようになる:
言語
宗教
キリスト教 –86%
プロテスタント –78%
バプテスト –39%
メソジスト –9%
ペンテコステ運動 –6%
キリスト連合教会 –6%
アッセンブリーズ・オブ・ゴッド –3%
他のプロテスタント –15%
ローマ・カトリック –7%
他のキリスト教 –1%
他の宗教 –<1%
無宗教 –14%
インディアン部族エルナンド・デ・ソトが遠征した16世紀のアーカンソー周辺のインディアン集落アーカンソー州に残る、インディアンによる先史時代の墳墓集落遺跡アーカンソー州を通る「国道71号線」は、かつてチェロキー族のオクラホマ州への強制移住(涙の道)に使われた経路である。16世紀のカスクィ村の復元図
州名の由来となった「アーカンサス族(クアポー族)」をはじめ、この州のインディアン部族のほとんどは、19世紀に他州へ強制移住させられた。アメリカ連邦政府によって公式に認定され、保留地(Reservation)を領有するインディアン部族は一つもない。
なおもこの州に先住するインディアン部族は20世紀にすべて「絶滅部族」として認定を取り消され、保留地を没収された。現在インディアン部族は、北西部オザーク及びこの州の中央部に強力に存在し、「復活したワシタのインディアン・アーカンソー&アメリカ」を組織して部族の再認定と保留地の返還を求めている。
一方、同州に本部を置く「アメリカインディアンの生得権の支援センター(The American Indian Heritage Support Center)」は、これらの部族・団体を「身元の怪しい詐欺集団」と弾劾していて、事の正否はインディアンにしかわからないものとなっている。支援センターは、これらの団体の活動に多数の白人ブローカーや「プラスチック・メディスンマン」(えせ呪い師)の介在を指摘し、営利性の強さを指摘している。アメリカ連邦政府に対する、絶滅扱いされた非公認インディアン団体の公式認定要求で、資金集めに名を借りたこういったブローカーの暗躍は、インディアン社会ではしばしば指摘されている問題である。
アーカンソー州では、州下の学校のクラブチームに、1931年からオーセージ族に因んで「インディアン・マスコット」の応援キャラクターが使われてきた。同州は、2008年2月28日に、バスケットボールのホームゲームの終了を以て、この「インディアン・マスコット」を公式に廃止した。文化も風俗も無視したステレオタイプなインディアンのスポーツ・マスコットは、「インディアンをおもちゃ扱いする人種差別である」として、全米のインディアン団体が根絶廃止を求めている対象のひとつである。
≪アメリカ連邦政府に公式認定を要求中のインディアン部族と団体≫ アーカンソー州ではインディアン部族は絶滅したことになっているので、部族が運営する「インディアン・カジノ」は現在のところ一軒もない。 1988年に制定された「インディアン賭博規制法」は、連邦公認されているインディアン部族に、州政府の管轄権の及ばない土地に限ってカジノ設営を認める連邦法である。この場合の土地は「Reservation(保留地)」、つまり連邦か州に認定された部族だけが領有できる土地、または彼らが「内務省預かり」とした土地を言う。 隣州のオクラホマ州に保留地を領有するオクラホマ・チェロキー族の主軸組織「キートゥーワー・バンド連合」 (United Keetoowah Band of Cherokee Indians
「チェロキー族」
「アモンスクアース・バンド」
「北チェロキー族」
「北チェロキー族・旧ルイジアナ領土部族」
「北チェロキー族・旧ルイジアナ領土部族・アウィ・アクタ・バンド」
「北チェロキー族・旧ルイジアナ領土部族・アニ・ツィ・ナ・バンド」
「北チェロキー族・ミズーリ&アーサンサス」
「西チェロキー族・アーカンサス・バンド」
「西チェロキー族連邦・アーカンサス」
「アーカンサスとルイジアナ領土の西チェロキー族」
「東チェロキー族・南方バンド・ミズーリ&アーサンサス」
「チカマウガ・チェロキー族」
「チカマウガ・チェロキー族・ホワイトリバー・バンド」
「チカマウガ・チェロキー族・サックリバー&ホワイトリバー・バンド」
「アーカンサス・チェロキー族」
「中央部族会議」
「失われたチェロキー族・ミズーリ&アーサンサス」
「アーカンサス旧移民チェロキー族」
「オザーク山チェロキー族」
「チェロキー族の赤い国家」
「ネチェス・バンド」
「チェロキー・チョクトー族」
「復活したクアチタ族」
インディアン・カジノ
2008年1月、米国内務省はこのキートゥーワー連合の申請を却下し、その理由として「彼らの保留地からカジノまで距離が遠すぎる」と説明した。これは全くの新方針であり、キートゥーワー連合はこれを驚くべき方針変化としている。予定地はオクラホマの彼らの保留地から90マイル(約145km)離れており、19世紀にアメリカ連邦国家によって強制移住させられる前の、彼らの本来の故郷に近い地である。この距離基準に基づき、内務省は他州の10部族から同州に出された同様の申請書をすべて却下した。 参照:アーカンソー州の都市圏の一覧、en:List of cities in Arkansas
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