アーカンソー州
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

Source:1910-2010[32]

2020年国勢調査時点でのアーカンソー州の人口は3,011,524人で、2010年より95,606人、すなわち3.28%増加した[33]

アーカンソー州の人口は1820年で15,000人に満たなかったが、1835年の特別国政調査時に52,240人にまで増加し、州昇格に必要とされた4万人を遙かに超えていた[34]。1836年に州昇格を果たした後、1870年まで人口は倍増を続けた。その後も成長を続けたが1950年と1960年には幾らかの減少を記録した。これには幾つかの原因があった。農業の機械化によって農業労働者の需要が減ったこと、教育を受けた若者が農業以外の仕事を求めて州を離れたことなどだった[35]。その後は成長を再開し、1980年には200万人を超えた[36]。現在の成長率、年齢別構成、男女比率は全国平均と同じ水準にある。少数民族比率もほぼ全国平均並みだが、ヒスパニック系の構成比率は全国平均より約10ポイント低い[37]

アーカンソー州の人口重心ペリー郡の北東角となっている[38]
人種及び祖先

州北西部のオザークや中央部では、圧倒的にヨーロッパ系アメリカ人が多い。ミズーリ州との州境に近い最北西部オザークでは、ドイツ系、アイルランド系、イングランド系が多い。アイルランド系は主に、北アイルランド、スコットランド低地、および北イングランドから来たスコットランド系アイルランド人プロテスタントであり、アメリカ独立前に渡ってきた者達の子孫である。イングランド系とスコットランド系アイルランド人移民はアメリカ南部の田園部や山岳地に入植した。イギリス系アメリカ人は州内全域で見られる[39]。アフリカ系アメリカ人は主に南部と東部に住んでいる。

人種的な構成比は以下の通りである[40]

80.1% ヒスパニック含む白人(74.2% ヒスパニックを除く)

15.6% 黒人

6.6% ヒスパニック

1.3% アジア

0.9% インディアン

1.8% 混血

2010年に調査された祖先による分類は次のようになっている[41]

20.7% イギリス系

15.6% アフリカ系アメリカ人

12.5% アイルランド系

11.2% ドイツ系

2.1% フランス系

1.7% オランダ系

1.6% イタリア系

1.6% スコットランド系

1.3% スコットランド・アイルランド系

アメリカ人の祖先を持つと申告している者の多くは、実際にはイギリス系が多く、幾らかはスコットランド・アイルランド系であるが、多くの場合州昇格以前から州内に住んでおり、単純にアメリカ人と申告するか、自身の祖先を知らないかである。その祖先は13植民地時代に遡り、そのためにアメリカ人を申告している。アイルランド系を申告する者の多くはスコットランド・アイルランド系である[42][43][44][45]
言語

2000年現在、5歳以上のアーカンソー州民の93.8%は自宅で英語を話し、4.5%はスペイン語を話している。0.7%がその他のインド・ヨーロッパ語を話し、0.8%がアジア系言語、その他が0.2%である。
宗教

多くの他の南部州と同じく、アーカンソー州はキリスト教プロテスタントが多数を占める。住民の宗教的関係は以下のようになる:

キリスト教 –86%

プロテスタント –78%

バプテスト –39%

メソジスト –9%

ペンテコステ運動 –6%

キリスト連合教会 –6%

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド –3%

他のプロテスタント –15%


ローマ・カトリック –7%

他のキリスト教 –1%


他の宗教 –<1%

無宗教 –14%

インディアン部族エルナンド・デ・ソトが遠征した16世紀のアーカンソー周辺のインディアン集落アーカンソー州に残る、インディアンによる先史時代の墳墓集落遺跡アーカンソー州を通る「国道71号線」は、かつてチェロキー族のオクラホマ州への強制移住(涙の道)に使われた経路である。16世紀のカスクィ村の復元図

カドー族連合、チェロキー族チカソー族チョクトー族、イリニ族、カスキナンポ族、オフォ族、オーセージ族、クアポー族、チュニカ族、ヤズー族などのインディアン部族が農耕生活を営み、ことにイリニ族や多数の部族が、柵で囲まれた土塁建築による大規模な都市を築いていた。17?18世紀に入ると、白人入植者によって彼らの社会は完全に破壊され、ほとんどの部族は滅ぼされた。

州名の由来となった「アーカンサス族(クアポー族)」をはじめ、この州のインディアン部族のほとんどは、19世紀に他州へ強制移住させられた。アメリカ連邦政府によって公式に認定され、保留地(Reservation)を領有するインディアン部族は一つもない。

なおもこの州に先住するインディアン部族は20世紀にすべて「絶滅部族」として認定を取り消され、保留地を没収された。現在インディアン部族は、北西部オザーク及びこの州の中央部に強力に存在し、「復活したワシタのインディアン・アーカンソー&アメリカ」を組織して部族の再認定と保留地の返還を求めている。

一方、同州に本部を置く「アメリカインディアンの生得権の支援センター(The American Indian Heritage Support Center)」は、これらの部族・団体を「身元の怪しい詐欺集団」と弾劾していて、事の正否はインディアンにしかわからないものとなっている。支援センターは、これらの団体の活動に多数の白人ブローカーや「プラスチック・メディスンマン」(えせ呪い師)の介在を指摘し、営利性の強さを指摘している。アメリカ連邦政府に対する、絶滅扱いされた非公認インディアン団体の公式認定要求で、資金集めに名を借りたこういったブローカーの暗躍は、インディアン社会ではしばしば指摘されている問題である。

アーカンソー州では、州下の学校のクラブチームに、1931年からオーセージ族に因んで「インディアン・マスコット」の応援キャラクターが使われてきた。同州は、2008年2月28日に、バスケットボールのホームゲームの終了を以て、この「インディアン・マスコット」を公式に廃止した。文化も風俗も無視したステレオタイプインディアンのスポーツ・マスコットは、「インディアンをおもちゃ扱いする人種差別である」として、全米のインディアン団体が根絶廃止を求めている対象のひとつである。

≪アメリカ連邦政府に公式認定を要求中のインディアン部族と団体≫

チェロキー族

「アモンスクアース・バンド」

「北チェロキー族」

「北チェロキー族・旧ルイジアナ領土部族」

「北チェロキー族・旧ルイジアナ領土部族・アウィ・アクタ・バンド」

「北チェロキー族・旧ルイジアナ領土部族・アニ・ツィ・ナ・バンド」

「北チェロキー族・ミズーリ&アーサンサス」

「西チェロキー族・アーカンサス・バンド」

「西チェロキー族連邦・アーカンサス」

「アーカンサスとルイジアナ領土の西チェロキー族」

「東チェロキー族・南方バンド・ミズーリ&アーサンサス」

「チカマウガ・チェロキー族」

「チカマウガ・チェロキー族・ホワイトリバー・バンド」

「チカマウガ・チェロキー族・サックリバー&ホワイトリバー・バンド」

「アーカンサス・チェロキー族」

「中央部族会議」

「失われたチェロキー族・ミズーリ&アーサンサス」

「アーカンサス旧移民チェロキー族」

「オザーク山チェロキー族」

「チェロキー族の赤い国家」

「ネチェス・バンド」


「チェロキー・チョクトー族

「復活したクアチタ族」

インディアン・カジノ

アーカンソー州ではインディアン部族は絶滅したことになっているので、部族が運営する「インディアン・カジノ」は現在のところ一軒もない。

1988年に制定された「インディアン賭博規制法」は、連邦公認されているインディアン部族に、州政府の管轄権の及ばない土地に限ってカジノ設営を認める連邦法である。この場合の土地は「Reservation(保留地)」、つまり連邦か州に認定された部族だけが領有できる土地、または彼らが「内務省預かり」とした土地を言う。

隣州のオクラホマ州に保留地を領有するオクラホマ・チェロキー族の主軸組織「キートゥーワー・バンド連合」 (United Keetoowah Band of Cherokee Indians) は、この規定に則ってアーカンソー州フォートスミスに、部族カジノの「河岸のカジノ」を計画、10エーカー(約4万m2)の土地を連邦信託の保留地(Reservation)とする申請書を提出した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:149 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef