アーカンソー州
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地形ではオザーク高原、ワシタ山地、アーカンザス川河谷、メキシコ湾海岸平原、クロウリーズリッジおよびアーカンソー・デルタ、さらには他地域と重なる州中央部の7つに分類することもできる[13]

ミシシッピ沖積平原に沿った南東部はアーカンソー・デルタと呼ばれる。この地域はミシシッピ川が度々洪水を起こして堆積された肥沃な沖積土壌によって平坦である。南東部の川から離れた地域はうねりのあるグランドプレーリーになる。これらはどちらも肥沃な農業地帯である。アーカンソー・デルタはクロウリーズリッジと呼ばれる異常な地質層によって二分されている。クロウリーズリッジはうねりのある細い幅の丘陵線であり、周りの沖積平原からは250ないし500フィート (75 - 150 m) 立ち上がっている。州東部の主要な町の多くがこの丘陵線に沿ってある[14]

州北西部はオザーク山地を含むオザーク高原の一部であり、南にはワシタ山地があり、アーカンザス川で二分されている。州南部と東部は低地と呼ばれている。これらの山地はアメリカ内陸高原の一部であり、ロッキー山脈アパラチア山脈の間では唯一の高原地帯である[15]。州内最高地点はワシタ山地にあるマガジン山であり、標高は2,753フィート (839 m) である。

州内および州境には多くの河川、湖、貯水池(人造湖)がある。ミシシッピ川の主要な支流としては、アーカンザス川、ホワイト川、セントフランシス川がある。アーカンザス川河谷ではマルベリー川とフーシュラフェイ川がアーカンザス川に注ぎ、ダーダネル湖もある。ホワイト川には、バッファロー川、リトルレッド川、ブラック川、キャッシュ川が注いでいる。州南部のワシタ川には、セイリーン川、リトルミズーリ川、バイユー・バーソロミュー、カドー川が注いでいる。レッド川の一部はテキサス州との州境になっている[16]。自然の湖はほとんど無いが、ブルショールズ湖、ワシタ湖、グリアーズフェリー湖、ミルウッド湖、ビーバー湖、ノーフォーク湖、デグレイ湖、コンウェイ湖などダムで造られた人造湖は多い[17]

アーカンソー州にはブランチャード・スプリングス洞窟など、多くの洞窟が存在する。州内の考古学者によって、先コロンブス期にインディアンが住み、狩りを行い、道具を作った場所、43,000か所以上が登録されている。その多くは墳丘墓や岩のくぼみの住居である。州内にはホットスプリングス国立公園 及びバッファロー国立河川がある。アーカンソー州はダイヤモンドが自然に埋蔵されている事が発見された合衆国内で唯一の州である。ただし一般人が少ない日給で原始的な掘削道具を使って掘り出すものであり、商業ベースには乗っていない[18][19]

州内には多くの原生林があり、その総面積は15万エーカー (600 km2) ほどもある。アウトドア・レクリエーションのための地域が指定され、狩猟、釣り、ハイキング、キャンプなどに開放されている。自動車の進入が禁止されている。
植物相と動物相

生態系地域としては、「オザーク・ワシタ・アパラチア森林地域」、「ミシシッピ沖積平原・南東部海岸平原」、「南東部平原」の3つに分けられている[20]。さらにアーカンザス・バレー、ボストン山地、ミシシッピ沖積平原、ミシシッピ・バレー黄土平原、オザーク高原、ワシタ山地、南中部平原の7つに小区分されている[21]。アメリカ合衆国森林局による2010年調査により、州総面積の56%、1,872万エーカー (75,000km2) が森林地とされた[22]。この森林地に多い樹種は、オーク、ヒッコリー (Carya) 、短葉松 (Pinus echinata) 、テーダマツである[23][24]。オザーク高原やワシタ山地は氷河期に氷河に覆われなかったことから、固有種の動植物が比較的多い[25]

絶滅危惧種ハシジロキツツキが州内に生息している可能性がコーネル大学鳥類学チームによって発表されている[26]
気候

アーカンソー州は温暖湿潤気候ケッペンの気候区分Cfa)にあり、北部山岳地では湿潤大陸性気候である。メキシコ湾に接してはいないが、その暖かく巨大な水域に近いので、州内の気候に影響を受けている。概して暑く湿潤な夏と、冷たくやや乾燥した冬が特徴である。リトルロックの7月では、日中の平均最高気温が93°F (34 ℃)、最低気温は73°F (23 ℃) となる。1月では、平均最高気温が51°F (11 ℃)、最低気温が32°F (0 ℃) となる。州北西部のサイロームスプリングスの7月では、日中の平均最高気温が89°F (32 ℃)、最低気温は67°F (19 ℃) となる。1月では、平均最高気温が44°F (7 ℃)、最低気温が23°F (-5 ℃) となる。年間平均降水量は40ないし60インチ (1,000 - 1,500 mm) である。南部で降水量が多く、北部は少ない。降雪は北部で多く、年間数回雪が降ることがある。これには平原州に接していることだけでなく、オザーク高原やワシタ山地など標高が高いことも関係している。リトルロックより南部では雪が少ないが、氷雨を伴う暴風に襲われることがある。冬季のみぞれなど凍るような雨は州全体で見られ、交通や日々の暮らしに影響している。州内過去最高気温は1936年8月10日にオザークで記録された120°F (49 ℃)、過去最低気温は1905年2月13日にラウンドポンドで記録された-29°F (-34 ℃)である。

異常気象でも知られている。通常年には雷雨、竜巻、雹、雪、氷雨がみられる。グレートプレーンズとメキシコ湾岸の間にあり、雷雨は年間60日ほど記録されている。アメリカ史の中でも最大級の竜巻に襲われたこともある。海岸から離れているのでハリケーンに直撃されることは少ないが、熱帯低気圧の名残によって短時間に多量の雨が降ったり、小さな竜巻を生むこともある。
気温

都市1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月Avg
フェイエットビル[27]44/24
(7/-4)51/29
(10/-2)59/38
(15/3)69/46
(20/8)76/55
(24/13)84/64
(29/18)89/69
(32/20)89/67
(32/19)81/59
(27/15)70/47
(21/9)57/37
(14/3)48/28
(9/-2)68/47
(20/8)
ジョーンズボロ[28]45/26
(7/-3)51/30
(11/-1)61/40
(16/4)71/49
(22/9)80/58
(26/15)88/67
(31/19)92/71
(34/22)91/69
(33/20)84/61
(29/16)74/49
(23/9)60/39
(15/4)49/30
(10/-1)71/49
(21/9)
リトルロック[29]51/31
(11/-1)55/35
(13/2)64/43
(18/6)73/51
(23/11)81/61
(27/16)89/69
(32/21)93/73
(34/23)93/72
(34/22)86/65
(30/18)75/53
(24/12)63/42
(17/6)52/34
(11/1)73/51
(23/11)
テクサーカナ[30]53/31
(11/-1)58/34
(15/1)67/42
(19/5)75/50
(24/10)82/60
(28/16)89/68
(32/20)93/72
(34/22)93/71
(34/21)86/64
(30/18)76/52
(25/11)64/41
(18/5)55/33
(13/1)74/52
(23/11)
モンティチェロ[31]52/30
(11/-1)58/34
(14/1)66/43
(19/6)74/49
(23/10)82/59
(28/15)89/66
(32/19)92/70
(34/21)92/68
(33/20)86/62
(30/17)76/50
(25/10)64/41
(18/5)55/34
(13/1)74/51
(23/10)
平均最高 °F/平均最低 °F (平均最高 °C/平均最低°C)

人口動態人口密度図

人口推移
年人口%±
18101,062?
182014,2731,244.0%
183030,388112.9%
184097,574221.1%
1850209,897115.1%
1860435,450107.5%
1870484,47111.3%
1880802,52565.6%
18901,128,21140.6%
19001,311,56416.3%
19101,574,44920.0%
19201,752,20411.3%
19301,854,4825.8%
19401,949,3875.1%
19501,909,511?2.0%
19601,786,272?6.5%
19701,923,2957.7%
19802,286,43518.9%
19902,350,7252.8%
20002,673,40013.7%
20102,915,9189.1%
20203,011,5243.3%
Source:1910-2010[32]

2020年国勢調査時点でのアーカンソー州の人口は3,011,524人で、2010年より95,606人、すなわち3.28%増加した[33]

アーカンソー州の人口は1820年で15,000人に満たなかったが、1835年の特別国政調査時に52,240人にまで増加し、州昇格に必要とされた4万人を遙かに超えていた[34]。1836年に州昇格を果たした後、1870年まで人口は倍増を続けた。その後も成長を続けたが1950年と1960年には幾らかの減少を記録した。これには幾つかの原因があった。農業の機械化によって農業労働者の需要が減ったこと、教育を受けた若者が農業以外の仕事を求めて州を離れたことなどだった[35]。その後は成長を再開し、1980年には200万人を超えた[36]


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