アン・ブーリン
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6月1日、聖霊降臨祭の日に戴冠式が行われ、アンが正式な王妃と宣言される。

1533年9月、アンはヘンリー8世の第2王女となるエリザベスを出産した。王子誕生を望んでいたヘンリー8世は王女誕生に落胆したが、エリザベスには王位継承権が与えられた。アンは、王女の身分を剥奪され庶子に落とされたメアリーに対し、エリザベスの侍女となることを強要した。アンはまた贅沢を好み、宮殿の改装や家具・衣装・宝石などに浪費した。一方、ヘンリー8世はアンの侍女の一人ジェーン・シーモアへと心移りし、次第にアンへの愛情は薄れていった。

1536年1月、前王妃キャサリンが幽閉先のキムボルトン城で亡くなった知らせを聞くと、アンとヘンリー8世は黄色の衣装を着て祝宴を開き、ダンスを楽しんだ(黄色はイギリスでは喜びと祝いの意味を持つ)と神聖ローマ帝国及びスペインの駐英大使だったウスタシュ・シャピュイ(英語版)は本国に報告している。この行動を見た人々は不快に思い、2人がキャサリンを毒殺したと噂し合った。一方で黄色はスペインを表す色であり、2人は個人としてはキャサリンの訃報を悲しんでいたという記述も当時の文献にある。その後、アンは男児を流産した。奇しくもキャサリンの葬儀の日だった。男子を産まず、流産を繰り返すアンから王の寵愛が離れたことを見てとり、アンの敵たちは力を増した。
処刑ロンドン塔のアン(19世紀画)

1536年5月1日、アンは結婚から2年後、国王暗殺の容疑、および不義密通を行ったとして、反逆罪に問われた。5人の男と姦通したとされたが、うち1人は実の兄弟ジョージ・ブーリンだったとされる。

同年5月19日、反逆、姦通近親相姦及び魔術という罪で死刑判決を受け、ロンドン塔にて斬首刑に処せられた。この時、ヘンリー8世はイングランドの死刑執行人に処刑させず、フランスのリールからジャン・ロムバウドという死刑執行人を呼び寄せて執行させたと伝えられている。また、アンが断首され首だけになった後、明らかに何かを話そうとしていたという逸話がある[4][出典無効]。

当時のイングランドは斧を使って斬首していたのだが、剣での斬首を懇願するほど、アンは斧での執行を嫌がったという。
補足

姦通について、エリザベス1世研究家のJ・ニールは著書『エリザベス女王』
[5]で「その(男子を産むために姦通した)可能性はありえた」としている。

アンの兄弟姉妹の生年は不詳で、アンの生年には諸説あり(ジェイン・ダン(Jane Dunn)は1501年説、アントニア・フレイザーとアリソン・ウィア(Alison Weir)は1500年か1501年説、ジョアンナ・デニー(Joanna Denny)は1501年説、クリストファー・ヒバート(Christopher Hibert)は1509年説)、誕生の順は明確ではないながら、ジョージはおそらく末子であったと考えられている。

アンと同じく最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンの侍女であった姉妹メアリーは、アンが王妃になる以前にヘンリー8世の愛人であったという。アンは「黒髪、色黒、小柄、やせ形」と当時美女とはされない容姿だったのに対し、メアリーの方は「金髪、色白、豊満」という当時の典型的な美女だったようである。また母エリザベス・ハワードも娘のアンたちと同様にヘンリー8世の愛人だったといわれ、キャサリンの王妃戴冠に強硬に反対した過去があった[6]

アンの容姿については、同時代のフランスの年代記録者が記録を残している。フランスは前王妃キャサリンの生国スペインと政治的に対立関係にあり、ヘンリー8世に対して好意的であったものの、アンに対しては終始「国王が贔屓にしている以外、これといって見るべきところがない女性」と酷評している。

アンは、かつての愛人だったノーサンバーランド伯爵ヘンリー(ハル)・パーシー(英語版)に対して、前王妃の娘メアリー1世を「殺す」と話していた。裁判では複数の人間によって、ヘンリー8世の子供たちに対する毒殺未遂の証言も出ていた。

母方の従妹であるキャサリン・ハワードは、のちにヘンリー8世の5番目の王妃となったが、アン同様に姦通罪の疑いをかけられて処刑された。その際、アンと弟ジョージの近親相姦罪を立証する証言を行ったジョージの妻ジェーン・ブーリンも、キャサリンの侍女として姦通の手引きをしていたことが露見し、ともに処刑された。

アンの右手が6本指(多指症)であったという説もあるが、1876年の発掘の際には異常な点は見られなかったという[7]

アンは作曲をよくしたが、死刑宣告後にアンの残した書類は全て処分され、残っていない。次にアンが公式に登場するのは、娘のエリザベス1世の戴冠式である。

当時のプロテスタントはカトリックと違い、英語で聖書を読むことを重要視していたため、アンも王妃時代、自分の宮廷に英語の聖書を置いていた。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}父のトマスが外交特権を利用して、外国で印刷された英語の聖書を密輸入したという説もある[要出典]。当時のプロテスタントの英語の聖書も含む地下出版活動を、公の立場で、アンが支援していたのが反逆罪と姦通罪につながったという説もある。

登場作品
映画アンを演ずるジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド

デセプション(Anna Boleyn, 1920年、ドイツ)監督:エルンスト・ルビッチ。アンをヘニー・ポルテン(英語版)、ヘンリー8世をエミール・ヤニングスが演じた、この題材を扱った最初期の作品。第一次世界大戦で壊滅的な打撃を受けたドイツにおいて、850万マルクもの莫大な予算を投入した超大作であった。なお、ヤニングスはルビッチが同時期、他に手掛けた2本の歴史映画『パッション』(Madame Dubarry)と『ファラオの恋』(Das Weib des Pharao)でも、ルイ15世とファラオを演じている(これらを総称してルビッチの歴史三部作と呼ばれる)。

わが命つきるとも(A Man for All Seasons, 1966年、アメリカ)監督:フレッド・ジンネマン。ヘンリー8世とアンの結婚に最後まで反対して断首されるトマス・モアの物語。トーマスをポール・スコフィールド。アンをヴァネッサ・レッドグレーヴ、ヘンリー8世をロバート・ショウが演じた。オーソン・ウェルズ他名優も出演。第39回アカデミー賞6部門独占の名作。

1000日のアン(Anne of the Thousand Days, 1969年、アメリカ)監督:チャールズ・ジャロット。アンをジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド、ヘンリー8世をリチャード・バートンが演じた。

ブーリン家の姉妹(The Other Boleyn Girl, 2008年、イギリス)監督:ジャスティン・チャドウィック。アンをナタリー・ポートマン、メアリーをスカーレット・ヨハンソン、ヘンリー8世をエリック・バナが演じた。

スペンサー ダイアナの決意(Spencer, 2021年、イギリス・アメリカ・ドイツ・チリ)監督:パブロ・ララインダイアナ皇太子妃クリステン・スチュワートが演じ、チャールズ皇太子の不倫で揺れる気持ちを投影させた存在であるアンをエイミー・マンソンが演じた。

テレビドラマ

THE TUDORS?背徳の王冠?2007年、米加愛英合作)

演:ナタリー・ドーマー


ウルフ・ホール2015年、英BBC)演:クレア・フォイ ヒラリー・マンテルによる小説『ウルフ・ホール』、『罪人を召し出せ』のドラマ化

小説

フィリッパ・グレゴリー 『
ブーリン家の姉妹』、集英社文庫、上巻:ISBN 978-4-08-760560-0、下巻:ISBN 978-4-08-760561-7


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